13. 本はインスパイアする! 神尾昭雄 『情報のなわ張り理論 ―言語の機能的分析』 大修館書店1990
あくまで個人的な思い出
筆者は一度だけ、神尾氏にお会いしたことがある。1999年の春、カリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA)で催された学会でだった。その学会での講演を頼まれ、確か2泊3日の旅をしたように覚えている。キャンパス内のゲストハウスに泊まっていたのだが、そこに神尾氏も投宿されていた。二日目の朝だったか、かなり距離のある学会会場まで、そぞろ歩きながらご一緒させていただいたのである。
もちろん、「情報のなわ張り理論」は知っていたので、お会いできて大変光栄であった。温厚で、やさしさが溢れんばかりで、そして丁寧な方であった。確か英語の著書、特にJohn Benjamins社を通して出版するプロセスについて、筆者も拙著を出版していたので、ともにその苦労話を分かち合ったように思う。2002年の訃報は信じられない悲劇であり、大変悲しいことであった。今はただ、あの美しい春の日の朝、一緒にキャンパスを歩いたその景色だけがなつかしく思い出される。
本のメッセージ
『情報のなわ張り理論』が出版されたのは、神尾氏がこの理論を提案されてから10年以上後のことである。それ以前に英語の論文や著書で紹介されていたものを、理論の適用範囲を広げて日本語でまとめた著書である。既に、英語の著書『Territory of Information』がJohn Benjamins 社より語用論研究のシリーズの一冊として1997年に出版されていた。『情報のなわ張り理論』は、脚光を浴び、当時の研究者にそれが語用論の分野に新たな地平を開く予感を抱かせた。その後、何本かの論文を通して理論的修正を経ながら、神尾氏が急逝した2002年まで、理論は発展を続けていた。
情報のなわ張り理論で論じられる重要な言語表現として、終助詞「ね」がある。それまで「ね」の使用についてはごく限られた考察がなされたに過ぎなかったし、「ね」の現象を理論的な枠組みの中で説明することもなかった。従来の分析の対象となった「ね」の使用例は限られたものであり、例えば次のような例は、分析されることはなかった。(1)と(2)は、ともに可能だが、ここで使われる「ね」の機能は何か、という問題が残る。
(1)ちょっと郵便局に行ってきます。
(2)ちょっと郵便局に行ってきますね。
また、(3.1)の質問に答える(3.2)で、あえて「ね」を使う動機は何なのだろうか。
(3.1)どう、一緒に行かない?
(3.2)いや、オレは行かないね。
これらの「ね」も含めて、神尾氏は、「ね」の基本的な機能と、「ね」が必須である場合、「ね」が任意の場合を次のようにまとめている(p.77)。
「ね」は話し手が聞き手に対する〈協応的態度〉を表す標識である。〈協応的態度〉とは、与えられた情報に関して話し手が聞き手に同一の認知状態を持つことを積極的に求める態度である。
話し手と聞き手とが獲得的情報として同一の情報を持っていると話し手が想定している場合、話し手の発話は「ね」を伴わねばならない。
話し手が自己の発話により特に協応的態度を示したい場合、話し手の発話は「ね」を伴うことが出来る。
このように心理状況を細かく分析した研究報告はそれまでにはなかった。簡単に協応的態度の標識を認めるだけだった性格付けが、より細かく示されるようになったという点で刺激的であった。
『情報のなわ張り理論』と文化
日本語研究で古典と言われる本は、日本語研究の世界だけでなく、社会・文化(例えばポピュラーカルチャー)に登場する。筆者が経験したのは、テレビドラマ『未解決の女 警視庁文書捜査官』シリーズ(2018年、テレビ朝日)で、話題となったケースである。
この作品は、警視庁文書解読係の活躍振りを描いたもので、過去の未解決事件で残された資料と、新しい事件の情報をヒントに、事件解決に至るというミステリードラマである。文書捜査の中心人物は、「倉庫番の魔女」と言われ、文書解読のエキスパートである鳴海である。鳴海はその決め台詞「文字の神様が下りてきた」にあるように、謎が解けると日本語についての蘊蓄を披露し、事件解決に導く。(お待たせしました! 2018年のシリーズ第4話、次の状況で「情報の縄張り理論」が登場します!)
ドラマの第4話で、母親が地元の祭で二人の息子と神社を訪れ、絵馬にメッセージを残したのだが、その直後失踪する。鳴海は、ふたりの息子の絵馬に書き添えられた言葉に、親近感の差がある、つまり、長男と次男に対する心理的距離感が違うと主張する。長男には「たくさん勉強して、夢を叶えてね」が、次男には「いっぱい食べてがんばれ!がんばれ!」が使われている。鳴海は、この「ね」が使われる長男には、「ね」が使われない次男より、親近感が感じられるという見方をする。後輩の矢代は、そのような解釈はこじつけだと言うのだが、鳴海は文章心理学で学んだことだと主張する。結局このドラマでは、次男とは血が繋がっていないことが明らかになり、それが事件解決の糸口となるのである。
鳴海と矢代は次のような台詞を交わす。
こんな具合で「情報のなわ張り理論」が話題となるのである! 言語学者や日本語研究者は、ちょっと耳を疑い、すぐさま、少し誇らしい気分になる。少なくとも筆者はまず驚き、しかしすぐ、ドラマの原作である小説『警視庁文書捜査官』の作者(麻美和史)は、いろいろな情報を得るために努力を惜しまないんだろう、と感心させられた。もっとも、鳴海の辞書的な説明では、「情報のなわ張り理論」を出してくるまでもないように思うのだが、このシーンでは説得力があるような?
■この記事の執筆者
泉子・K・メイナード(Senko K. Maynard)
山梨県出身。AFS(アメリカン・フィールド・サービス)で米国に留学。甲府第一高等学校およびアイオワ州コーニング・ハイスクール卒業。東京外国語大学卒業後、再度渡米。1978年イリノイ大学シカゴ校より言語学修士号を、1980年ノースウェスタン大学より理論言語学博士号を取得。その後、ハワイ大学、コネチカット・カレッジ、ハーバード大学、プリンストン大学で教鞭をとる。現在、ニュージャージー州立ラトガース大学栄誉教授(Distinguished Professor of Japanese Language and Linguistics)。会話分析、談話分析、感情と言語理論、語用論、マルチジャンル分析、創造と言語論、ポピュラーカルチャー言語文化論、言語哲学、翻訳論、日本語教育などの分野において、日本語・英語による論文、著書多数。
くろしお出版から刊行の著書
■この記事で取りあげた本
神尾昭雄 『情報のなわ張り理論 言語の機能的分析』
大修館書店1990
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