見出し画像

12. 本で冒険する! 『マルチジャンル談話論 ―間ジャンル性と意味の創造』 くろしお出版 2008

ビジュアル記号の分析という冒険

2000年代に入り、コミュニケーションは、バーバル記号だけでなく、むしろビジュアル記号が幅をきかせるようになっていた。従来、言語学で言うノンバーバル記号とは、発話に伴うジェスチャーを指すことが多かった。しかし、現在もそうであるが、広範囲のビジュアル情報を含むコミュニケーション(SNS, ブログ、メール、YouTubeなど)が日常的になってきていた。さらに、日本語文化の一部としてその存在感を増していたポピュラーカルチャーの作品にも、ビジュアル記号が多く登場していたばかりか、メディアミックスが広く展開されていた。日本語研究は、もはやこのような現象を無視できない状況下にあった。

その頃、言語をマルチモーダルな現象と捉える海外の研究が報告されていた。複数の表現方法に焦点を当てる研究分野としての、マルチモダリティ談話分析である。分析の対象となる表現手段(モード)には、言語や言語に付随する表現(プリントされるフォントの種類や大きさなど)、またビジュアル記号としての、写真、イラスト、図式などが含まれる。言語とビジュアル記号が共起するコミュニケーションを分析することに焦点を当てる研究分野で、当時、分析されていたのは、理数系の教科書に使われる図式、広告のビジュアル記号、テレビコマーシャルなどであった。

私たちは、ビジュアル情報を含む多様なディスコースを消費するだけでなく、飽きることなく創り続けている。それは、どんな表現方法を駆使してどのような効果を狙ったものなのか、もっと根本的には、なぜ多種で複雑なディスコースを創造するのだろうか。そんな疑問に答えるために、筆者は[マルチジャンル談話論]という新しい枠組みを作ろうとしていた。

ちなみに、筆者は本書の出版後、ライトノベル(『ライトノベル表現論 会話・創造・遊びのディスコースの考察』(明治書院 2012)とケータイ小説(『ケータイ小説語考 私語りの会話体文章を探る』(明治書院 2014)をポピュラーカルチャーのディスコースとして分析したが、その際、ビジュアル記号も考察の対象にした。特にライトノベルでは、表記の操作の分析や、文のビジュアル化と称して、記号と符合、ページレイアウトについて分析し、加えて、ライトノベルとそのマンガ化作品との表現性の差を、ビジュアル記号も含めて論じた。

バーバル記号とビジュアル記号の交渉

当時筆者が興味を持っていたメディアの言語は、従来の書き言葉、話し言葉という言語中心の性格付けでは片づけられないバリエーション豊かなものであった。そこで、マルチモダリティ的アプローチを応用しながら、日本語の複数のジャンルの作品を分析対象とし、『マルチジャンル談話論』という枠組みから分析を試みた。

一般的に「ジャンル」というと、書き言葉、その中でも文芸作品の表現様式に関連して、その種類を指すことが多い(例えば、小説、エッセー、詩歌など)。筆者は、従来のジャンルという枠組みを広げて、「意味を創造する人間行為に典型的に観察できる一定の表現様式によって支えられたある種の談話のタイプ」と考えた。そこには、語彙、文法、談話構造、表現のパターンやスタイル、広くはビジュアル記号などの表現形式が混合されている。そこで、マルチジャンルのディスコースをデータとし、複数のジャンルの交錯・融合(これを筆者は間(かん)テキスト性に対して間(かん)ジャンル性と呼ぶ)に加え、ビジュアル記号の分析、さらにビジュアル記号とバーバル記号の交錯・融合といった現象の考察を試みることにした。

本書で分析の対象とする様相は、会話の言葉と描写表現、言語と言語行為、ジェスチャーと言語、静止したビジュアル記号とバーバル記号、動くビジュアル記号と歌詞、落語というジャンルの操作など、複数のジャンルが交錯・融合する談話現象である。分析の枠組みとしては、筆者の場交渉論を始め、声の多重性、間テキスト性、間ジャンル性、視点、付託、アイデンティティー、レトリック、マルチモダリティ談話分析などを用いる。分析したデータは、雑誌記事、エッセー集、旅行記、小説、マンガ、テレビドラマ、雑誌広告、テレビの歌番組、などである。

バーバル記号とビジュアル記号が交渉することで意味付けがなされる例を、ひとつあげておこう。マンガ(ながとしやすなり「宇宙人田中太郎」『コロコロコミック』2004年9月号 小学館p.632)に登場するあるシーン(先生が教室で、ある少年を叱るという設定)で使われる二種の指差しの機能についてである。ひとつは先生が名前を呼んで、授業中ぼけっとしていることを叱りながら、少年を指差す(手のひらは横向きで、手はほぼ体と直角)。もうひとつは、先生が続けて、「宿題の作文、おまえだけ提出してないって言ってるんだ!!」と大声を上げ、宙を指差す(手のひらは相手に向き、手の位置は肩の上)。ふたつの指差し(指差しAと指差しB)は、発話のコンテキストに寄り添いながら異なる機能を果たしている。Aは、話し手が実在する相手を明示する動作の一部として用いられる。一方、Bは、具体的に指す対象はなく宙に向けられる。Aは、相手をはっきりと示し共起する発話が誰に向けられているかを明確にする働きがある。一方、Bは、相手が発話の内容に注意するようにアピールする行為であり、強いて言えば、指差しの対象は発話の内容自体である。同一人物が、二種類の指差しを使い分けている様子が見てとれる。

筆者はAを情報の指差し、Bを相互行為の指差しという表現で捉えた。指差しというジェスチャーには、異なる機能があるが、その効力は共起する言語によって解釈される。上記の例で観察したように、マンガのコミュニケーションをマルチモーダルな現象として分析・考察することで、言語表現とそれに伴うジェスチャーの機能を明らかにすることができる。従来の研究ではジェスチャーとしての指差しは、日常会話などに伴う場合に限られていたのだが、本書では、マンガの使用例を用いることで、分析対象となる現象を広げ、分析方法においてもビジュアル記号の機能に焦点を当てることで、マルチジャンルのマルチモダリティ分析が可能となった。

あくまで個人的な事情

本書がビジュアル記号を分析の対象としたことから、筆者は趣味である透明水彩画を章扉に載せていただくことになった。旅したことのあるアメリカ各州の代表的な景色を選んで、それぞれの場所への思いを込めて描いた9枚のカラーの水彩画をモノクロで再現していただいた。

具体的にそのイメージをリストアップすると、ミネソタ州の田舎の一本道、ウィスコンシン州の朝の湖、イリノイ州の広大な農地に一本だけ立つ木、ニュージャージー州の海岸に打ち寄せる大波、ノースカロライナ州の朝焼けの海、コロラド州ロッキー山脈の雪景色、ユタ州の夕日に赤く燃える山並み、アリゾナ州のビュート(上部が侵食されて平らになった孤立丘)、ハワイ、オアフ島のハナウマベイの風景、である。これらのイメージは筆者が撮った写真や絵ハガキなどをもとにしているのだが、確かに私たちはビジュアル記号をたよりに思い出したり考えたりすることがある。

水彩画の題材として選んだ「場所」であるが、日本の文化では、その場所にしばしば郷愁が漂い、それが何か意味深い特別なものであることが多い。多くの日本の歌謡曲の歌詞には、場所がビジュアルイメージとして使われている(例えばご当地ソングなど)。その付託的な表現には、間接的にしかアピールできない深い心情が込められていることが多い。ちなみに、筆者はアメリカで24時間放送の日本語チャンネル「テレビジャパン」の番組を視聴しているが、NHKの『にっぽん縦断こころ旅』という番組は、まさに、このビジュアル記号としての場所を心のよりどころとする日本人の心情にアピールするもので、2011年から続く中高年者向けの人気番組なのである。

人間的な思考は言語なしでは成り立たないが、それはマルチモダリティ現象として、ビジュアル記号が呼び起こすイメージを介して可能になることが多いように思う。ビジュアル記号の運用方法やその重要性は、文化によって異なるのかもしれないが、日本人が持つビジュアルイメージへの豊かな感性は否定し難く、学問の領域として興味深いものがある。

PS: この本の準備をしていた頃、帰国した際、くろしお出版の皆さんから、宮藤官九郎著『タイガー&ドラゴン』(角川書店2005)をおみやげにいただき、本書の第8章のデータとして使わせていただいた。筆者は、折に触れて適切なアドバイスや、日本の情報を提供してくださる編集者の方々のご好意を、心からありがたく思う。


■この記事の執筆者
泉子・K・メイナード(Senko K. Maynard)
山梨県出身。AFS(アメリカン・フィールド・サービス)で米国に留学。甲府第一高等学校およびアイオワ州コーニング・ハイスクール卒業。東京外国語大学卒業後、再度渡米。1978年イリノイ大学シカゴ校より言語学修士号を、1980年ノースウェスタン大学より理論言語学博士号を取得。その後、ハワイ大学、コネチカット・カレッジ、ハーバード大学、プリンストン大学で教鞭をとる。現在、ニュージャージー州立ラトガース大学栄誉教授(Distinguished Professor of Japanese Language and Linguistics)。会話分析、談話分析、感情と言語理論、語用論、マルチジャンル分析、創造と言語論、ポピュラーカルチャー言語文化論、言語哲学、翻訳論、日本語教育などの分野において、日本語・英語による論文、著書多数。
くろしお出版から刊行の著書

■この記事で取りあげた本
泉子・K・メイナード
『マルチジャンル談話論 間ジャンル性と意味の創造』 
くろしお出版 2008
出版社の書誌ページ

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?