見出し画像

人の幸せに口出ししないということ

こんにちは、 久々の更新です。3ヶ月ぶりということもあって、過去に何を書いたか忘れているのでおんなじこと書いてるかも、まぁいいか。

今回考えることは、人の幸せを口出ししないということです。

最近、歩きながら人の幸せが目に付きます。手を繋ぎながら帰る男女の高校生。涼しくなった夕暮れに散歩する、ちいさい子と女の人。家の前で遊ぶ子どもたち。なんでもない風景なのですが、平和だな、幸せそうだなと感じます。名前も互いの関係も知らないのですが、 そう思わずにはいられません。

一方で、夫婦らしき男女が隣同士で歩いている中、片手と目線はスマホの姿。マナーどうこうの問題は置いておいて、なんとなく侘しい気持ちになりました。勿論私はその人たちの何も知らない訳なのですが、せっかく二人で出かけているのに見るのはスマホなのかと感じてしまいしました。

それでふと思いました。これは幸せの押し付けだな、と。

幸せそうだなと感じた考えも、侘しくなった考えも、まさに勝手な私の幸せの押し付けなのです。なにもその人たちの、なにも事情も関係も知らない訳なのですから。笑っているから幸せとは限りません。一緒にいるからと言って互いが望んだ関係になっているとは限りません。幸せかどうかなんて、当の本人しか決めることができないのですから。

人を見て幸せどうこう口に出すのはナンセンスなのでしょうね。

私も、結婚は普通のことだそれこそが幸せだ早くしたほうがいいといくら言われても心には響きませんし、めんどくさい気持ちでいっぱいになります。ひとりでもいいじゃないか、ひとりは幸せにはなれないと決めつける人は好きではありません。

人の幸せは人が決めること。勿論私の幸せは私が決めること。

人に自分の幸せを口出しして欲しくないのであれば、私も口出すことはしない方が最もですよね。

その人の幸せはその人のもの。私の幸せは私のもの。それでいいじゃないかと思います。

三連休の締めとして、新しくできたラーメン屋に行きました。なかなか美味しかったです、また行こう。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?