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わたしと占い

先日、3年前に書いたおはなしにいいねをしてもらったことで思い出したnote。ごめんねnote、ひとまずアカウント覚えていてよかった。受け入れてくれてありがとうnote。

気づいたら新年です、新しい年ですね。
いくつになっても、新年はわくわくそわそわしますね。お年玉をもらえるわけでも、なんの用事もあるわけでもないんですが。

特になにをするわけでもない毎年のお正月なのですが、ここ2.3年は見ているものがあります。

それが占い。

占いの捉え方ってひとそれぞれで面白いですよね。よく聞くのが「いいことは信じるけど悪いことは信じない」かなって思います。はっきり「信じてます」「信じてません」という人は少数派のように感じます。

「信じてます」というと、なんとなくオカルトチックな人間に思われそうだし、
「信じてません」というと、なんとなく融通の利かない頑固な人間だなと思われそうじゃないですか、知らんけど。

かくゆう私は、占いは人生を楽しむ一つのエンタメ、って思っています。

事故に気を付けようという月であれば、横断歩道を渡るときは信号が青になってもいつもより意識して左右を見てみたり。ちょっとしたご褒美がいいといわれる月であれば、欲しかったものを思い切って買ってみたり。

良いことも悪いことにも、ちょっと自分の背中を押してくれるもの。そんなふうに思っています。

過度に気にしてしまうと、日常生活に支障をきたしてしまいますからね。事故に遭うのが怖いから出かけないとか、欲しいものがないのに無理やり散財したり。それだけに集中して自分を追い詰めてしまうと、元も子もありません。


毎日は、意識しないとあっという間に過ぎてしまいます。

今日一日なにしていたんだろうと思う夜は、なんとなく罪悪感や焦燥感を感じます。なにも生産的なことをしていないような、不安。誰にも、なにも言われていないのに、自分で自分を責めてしまう夜もあります。そんなこと、ないのにね。なんにもしてない日なんてないのにね。

毎日を意識する、一か月を意識する。それだけで自分の生活を振り返れるように思います。そのために使うのが占いだと考えています。

1月は、「できれば3つ以上、思い出に残る1月の行事やイベントを自分で設定してみて」とかいてあったので、今日は初詣に行って、白みそのお雑煮を食べました。なんてことないことなのに、なんとなく一日に達成感を感じています。初詣に行っただけなのに、冷たい空気できりっと心が入れ替えられたような感覚と新年のあいさつができた満足感、まるで今年一年のスタートが華麗に決まったようにも思いました。

めんどくさがりやな私なら、行かない選択肢も十二分にありましたが、「思い出に残る、行事を自分でやってみて」という占いが、そっと私の背中を押しました。


当たるも八卦当たらぬも八卦
どうぶつの森のハッケミィさんも言っていたように思います。

当たる・当たらないとか、結果で一喜一憂するのではなくて、楽しく毎日を過ごすひとつのエンタメ、それがわたしと占いの距離感だなっと思います。

さて、ほかにはどんな行事を設定しようかな。

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