『悪と全体主義―ハンナ・アーレントから考える』/ 第5回 長い夢から醒めるとき
5.おわりに
この本の中で著者がオススメしている親との『対決』。
対決と言うとちょっと物騒なかんじがしますが、けして「ビビってんじゃねえ、アイツらぶっ潰してこいッ」みたいなコトではありません。親との関係をキチンと整理して前に進むために、彼らと建設的な対話をしようというおすゝめです。
しかし、彼ら相手にマトモな話し合いが可能だなんて夢々思われませぬように・・・・まあ、まず無理です。マトモな話し合いができるような親なら、そもそも子供をいびったりなぞしておらんからです。同様の理由から謝罪を期待するのもムダ。
んじゃ、なんのためにわざわざ『対決』なんてするのか。
ここから先は私の個人的な意見ですのでアレですけどもーーー
対決の目的とは、彼らの真の姿、正体を見ることです。
よーく観察してみてください。
彼ら彼女らは、我々が恐れ慄かねばならないような強大な存在ではありません。十中八九、ただのオッサン、オバサンです(しかも物凄く残念なタイプの)。
彼らの正体を正しく知ることができれば、不必要に親を恐れずにすむ。
ミルグラム実験の結果から、『ドイツ人は特殊だ』という予測は崩れ去り、アメリカ人でも条件さえ揃えばアイヒマンと同じことをすることが明らかになってしまった。フランスでもそう。
てことはおそらく、白人でも黒人でも黄色人種でも大差ない。きっとみんな同じことをする。
終戦の少し前に台湾で生まれた父は、運良く大地の子を免れ、無事帰国を果たす。
しかし無一文の祖父一家には住む家も土地もなく、親戚に借りた物置小屋から再出発した彼らの苦労は、相当なものであったらしい。
んで、この祖父がまたチョットとんでもねえアレでして。内にこもりがちな内向的アレの父に対して、こちらはものすご活発な外向的アレ。
祖母は自殺未遂を3回繰り返した挙句キリスト教に入信し、最後は信仰の世界に心の安寧を見出した(葬式は仏式だったけども)。
平和ボケしてる私には想像も及ばないけれど、実際に戦争を経験した祖父たちの世代の苦しみってどれほどのものだったか。
よくよく考えたら戦争終わって帰国して「ハイ、じゃあ今日から切り替えて?」って言われても、スパンと切り替えて日々ハツラツと暮らせる人なんてどれくらいいるのか。
機械じゃないぞ。みんなナマ身の人間だ。
器用にやれる人ばかりじゃない。荒れる人だっていただろう。
おじーさんはストレスを家族にぶつけて発散し、その息子も同じようにストレスを家族にぶつけて発散し、そのまた娘もストレスを・・・・っていやいや、私は抗うぞ。
幸い今は時代がいい。
平和で豊かな時代に生きているからこそ、私たちは抗う余力を持つことができる。
それは祖父世代の人たちが命を散らしながら、どーにかこーにかあの激動の時代をやり過ごしてきてくれたおかげ。
おそらく、私の世代の役割は、彼らの引きずってきたPTSDに終止符を打つことだ。
負の連鎖を食い止めて、次世代に繋ぐ命を大切に慈しみ、過去の害から子供を守る。
あーっと、それともうひとつ。
父の最期を看取ってあげることもかな。
あのおいさん、まだまだ当分、元気そうだけどね笑
2023.11.25.
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