見出し画像

武富健治先生『古代戦士ハニワット』勝手に応援企画(9)コラム⑧:男性の登場人物の魅力:久那土凛(草稿・後編)

※「久那土凛」編の後篇になります。ヘッダーは武富健治『古代戦士ハニワット』の複製原画(「幕引き」4.1.29)からお借りいたしました。

7 凛は岬で何をしていたのか

 こう考えてみると、凛は仁に会っていないにもかかわらず、彼は仁のことを重く受けてめています。そこで凛が仁について語っているシーンに少し話を戻します。

 凛が仁について語るのは「予兆の夜」(2.1.13)です。岬で凛はオグナに対して「間違ったらゴメン…」と前置きして、自分が感じた戸隠神宮の蚩尤収めについて語ります。オグナの口から戸隠神宮の蚩尤収めが失敗したことを詳しく聞く前、凛はかなり仁の失敗のディテールを感じ取っているのです。それを拾えば「祭祀メンバーに犠牲者が複数出たね 埴輪徒の未熟が原因で…」「埴輪徒は…生死の境をさまよっている」「もし生きて目覚めたら辛いだろうな…」です。この「埴輪徒」は仁のことですね。オグナは単に「布留の埴輪徒が敗れたのを…感じなかったとは言わせんぞ」とだけしか言っていないにもかかわらず、すでに岬の凛は、仁の蚩尤収めのディテールを感じ取っていて、仁に対してものすごく感情移入しているのです。そして、仁の失敗を引き継ぐために凛は「出撃」したのですから、並々ならぬ決意を秘めていますし、当然自分の「死」も覚悟しています(2.1.14)。従って凛には仁が準備した奇縁を受け入れること、その選択しかありません。

 さらに踏むこんで「予兆の夜」について仮説を述べたいと思います。そもそも、凛はなぜ岬にいたのでしょうか?あるいは岬で何をしていたのでしょうか?それは仁が「向こう側」に去らないようにするためです。凛は登場シーンで釣った魚を海鳥に与えています。これは凛の趣味ではありません。ある種の儀式だと思います。仁の敗戦を感じ取った凛は、海鳥(死)を魚(生)で満たして仁が向こう側に去らないように食い止めていただと思います。少なくとも、凛が海鳥に餌付けしている段階で、すでに仁の敗戦を感じ取っていて「とても嫌な感じ」を受けていたのは確かです。その「とても嫌な感じ」のままに、凛が趣味に興じていたとは読みにくい。オグナが美保神宮の階段下で受けたのと同時刻に、凛が「嫌な」感じを受けたとすれば、凛は釣りを止めて海鳥に餌付けを始めたのかもしれません。仁のために。

 さらに穿った見方をすれば、仁の蚩尤収めに不安を覚えたからこそ、凛は釣りに出かけたのです(魚の意味は後でもう一回ふれます)。「死」の世界を「生」の供物で満たし、「向こう側」が仁を呑み込まないように。つまり、魚は仁の身代わりなのです。

 さらに凛視点からみると、オグナとの再会のシーンは次のように解釈できます。岬でオグナに出会った凛は、第一声「ジョー」の後に「ニコッ」と微笑みました。第一声のニュアンスはおそらく明るいトーンだと思います。なぜならば、凛は自分の「嫌な感じ」は杞憂に過ぎず、実際には仁の蚩尤収めは成功し、そのことをオグナは伝えに来たと期待しているからです。直後の微笑みは、凛の期待を強調するものです。決して凛とオグナの「腐った関係」を表現しているわけではないのです。凜がニコッとほほ笑んだ時点で、凛とオグナの距離は少し離れいるために、凛にはオグナの表情が読み取れませんでした。しかしオグナのただならぬ様子、眼差しから仁の敗戦を察知した凛の表情は一転して哀し気に変化し、「…出撃だね ジョー」と全てを理解したことをオグナに伝えます。つまり、オグナの表情から凛は仁の敗戦を悟ったのです。だから凛はオグナの言葉を待たずに、同行者マイに「…行こうマイ」(「予兆の夜」2.1.13)と美保神宮に戻ることを告げたのです。次の凛の言葉は「わかっていたつもりだけど…本当に突然だね」です。これは、真具土である自分がいつかは出撃するのは「わかっていたつもり」という意味と、戸隠が失敗した以上自分が出撃するのは「わかっていたつもり」という意味の二つの読み方ができます。ここでは後者の解釈が妥当なのでしょう。オグナが迎えに来るか来ないか関係なく、凛には「わかっていた」のです。仁の戦いが厳しいものであり、仁が負けたということが。むしろ自分は間違っていて、オグナは仁の勝利を伝えにきたと期待したから、凛は最初に「ニコッ」と微笑んだのです。つまり、凛は仁のことを考え続けている人物として『ハニワット』に登場するのです(「散華」2.1.12)。

8 凛、柔里との距離を縮めようとする

 凛はオグナの言葉で奇縁を受け入れようと決意をします。しかし、ここに柔里とのズレが生じます。凛は早い段階で、それに気づき柔里との距離を縮めようと努力し始めますが、中々うまくゆきません。まず、二人の出会いの前に遡ってズレを確認してみましょう。

 柔里は、今野さんに説得されて生死の境を彷徨う仁の病院から戸隠に引き戻されます。しかし、柔里の気持ちは仁のそばから離れません。戸隠神宮の立場では、「ユリさんは戸隠の巫女の中でも最も素質のある舞い手の一人」(2.1.13)なのに、柔里の心は仁から離れないのです。おそらく、彼女は自分の素質のすべてを仁に捧げる覚悟で、子どもの頃から舞いの稽古を積んできたのでしょうから無理からぬことです。柔里が仁以外の埴輪徒を受け入れる準備がないことは、前夜の風呂場のシーンを見れば明らかです。柔里はコトと湯舟につかり、「……父さんがね…仁兄ちゃんと同じように心を入れて舞えだって…」「明日……顔合わせで初めて会う人が埴輪徒なんだよ…⁉」と。コトに慰められる柔里ですが、目をタオルで隠し泣き顔をみせないようにしています(柔里…)。

 これに対して凛の前夜は、すでに紹介したように仁の敗戦を引き継ぎ、美保の巫女たちとも別れを告げ、戦う土人形としての決意に満ちています。巫女たちの側に感傷はあっても、凛の気持ちは仁の敗戦を引き継ぐ決意を固めているわけです。

 凛は、戸隠でコトに会った時に激しい動揺に見舞われますが、それもオグナの助言を通じて奇縁の一つとして受け入れ、彼女に蚩尤収めへの同行を依頼します(3.1.17)。柔里に対する迷いよりも、コトに対する迷いが強いのは、部屋に戻った凛の打ちひしがれた様子をみれば、よくわかります。夢占にはコトは現れませんから。ところが柔里視点では、このシーンこそ自分には奇縁が無かったと誤解して、凛に八つ当たりを始める出すわけです(「柔里編」参照)。この二人の心のすれ違いの直接的な原因は、二人が同じ夢=「仁の導き」を見ていることの確認が無いからでしょう。凛は柔里の苛立ちをなだめ、蚩尤収めに集中させようと努力しています。「死」という忌み語を使い柔里にショックを与えることから、それは始まります。

 凛が柔里をすでに受け入れているのは、「僕は何も心配していないのに…横で勝手に不安がられてはちょっとはイラッとするだろう」(3.1.18)に表れています。凛はすでに柔里を信頼し、心配していない。なぜならば凛は、未熟とはいえ生死を賭けて戦った「仁の導き」を受け入れているからです。滝、水の香に柔里の気持ちを向けさせて、「さあ…幕の内に入ろう…」と柔里を安心させるように導き始める凛。そして、何事もないように服を脱ぎ、不安がる裸の柔里を右手を引き寄せ、自分の肩口を触らせます。凛は真具土の自分の体が土人形であることを触覚を通じても柔里に伝えます。凛は柔里の瞳しかみていません。ものすごく哀しく心配そうな眼で、柔里の瞳を覗きこむ凛。柔里が自分を受けいられてくれるか否か。二人の鼓動のように滝の音が響きます。グッと柔里を自分に引き寄せ彼女を抱くと、「あまり…間近で僕の顔を見るな…!」と告げる凛。そこでようやく柔里は、凛が柔里に受け入れるてもらえるのか、心配していることに気づきます。明らかに柔里の瞳は、凛の主巫女として「失敗」に気づき、凛の弱さを含めて受け入れる兆しを示しています。土人形である凛が自分の苦悩をさらけ出したことが、柔里の気持ちを解きほぐしたようです。凛の唯一の不安は土人形(ピノキオ)の姿をさらすことで、柔里に対してではありません。

9 凛の顔

 凛の髪型は綾波レイのように全体が内向き顔を覆うようなデザインなのですが、これは土人形の顔を見られたくないからでしょう。服を着て体は隠せても、顔は隠せないという凛の苦悩を形にしているようです。前髪が長いのも異界に通じる「ぐりぐり目」を隠すためのデザインではないでしょうか。これはmappappiさんのツイートで気付きましたが、そのツイートを読んだ後、凛の髪型は綾波と似ていると思うようになりました。綾波は量産型のヒロインで、その異形性も凛と似ていますね。

 凛の顔が印象的に描かれている場面が幾つかあります。その一つは、凛の蚩尤収めが始まる直前です(「真具土、出陣」3.1.21)。御輿が蚩尤の前に据え置かれ、前部の幕が開かれます。凛より前に座る柔里は、直接蚩尤に体を晒すのですが、不安を覚えた柔里は振り返り凛の顔を凝視します。この時、凛はすでに蚩尤収めのモードに入っているので、柔里と視線を合わせません。柔里は瞳孔の開いた「ぐりぐり眼」を見つめて、落ち着きを取り戻し、落ち着いた面持ちで舞いのポジションにつきます。おそらく「僕は何も心配していないのに」という台詞を思い出したのではないでしょうか。

 次に凛の顔に関して印象的なのは蚩尤収めが無事終了し、凛の変化(へんげ)が解けるシーン(4.1.29)。明らかに凛は顔を見られるのを嫌い、両腕を交差させて顔をガードします。気づいた柔里は凛を守るために「ジョーさん、白布を‼」と叫び、凛を愛おしそうに包みます。ここは終始、柔里視点で描かれているのですが、二人が見つめ合った後の「あまり…間近で見るな…」という凛の台詞。おそらく白布で覆ってくれたのが柔里であることを確認したので、蚩尤収めを終えた凛の照れ隠しも入っているのではないでしょうか?親しい関係であれば「近いっ」という台詞も、「離れて」という意味ではなく、お互いの関係を照れながら確認しあう言葉として機能します。意外と凛の言葉遣いは独特なので、その真意を掴むのは難しいですね。

10 「エピローグⅠ・Ⅱ」

 「柔里編」でも書きましたが、「エピローグⅠ・Ⅱ」(4.1.30,31)は第1部の終結であると共に、柔里が凛との奇縁を受け入れるエピソードでもあります。凛側からいえば、柔里の心を解きほぐす物語です(その最後は「解藁の姉妹」5.2.4)。物語は凛の目覚めから始まり、凛はすぐに柔里を探し始めます。そして、彼女が仁の見舞いの準備をしていること、見舞い組は凛の目覚めを待っていたことを、エリを通じて知ります。しかし、凛は仁に会うつもりは無かったのか、「別に…ぼくなんか待たなくても…」(4.1.30)と遠慮がちです。しかし、エリの「仁さんがね…なんとしてもあなたと会って話したいって…!」という仁の伝言を聞いて、凛は何か「考え」ます。おそらく、夢の続きが始まる予感ではないでしょうか。

 そして、仕度を終えた柔里は凛にあって気まずそうに「あ…」、対する凛が「…やあ」。そっけなく見えますが凛はこのくらいが丁度いい感じです。

 病院で仁に対面しても、凛はほぼ無言です。「よォォ…お前が…凛か……」「会いたかったぜェ…!」という仁の対しても凛は無言で見つめ返すだけ。というのも、凛はそもそも仁に対してかける言葉などないと思っていたからです。凛は仁の心情を「祭祀メンバーに犠牲者が複数出たね 埴輪徒の未熟が原因で…」「もし生きて目覚めたら辛いだろうな…」と想像していたからです(「予兆の夜」1.2.13)。仲間に犠牲を出した者が生きながらることの辛さ(この辛さは陣九郎にも共通しています。2.1.14)。それを見るのは忍びない。あるいは、勝利した凛が負けた仁にかける言葉は無い。そういうことでしょう。だから見舞いにも遠慮がちだったわけです。ところが事情は一変します。それは、仁の「ユリを…連れてってやってくれよ」(4.1.31)。この台詞が凛にとってあの夢の続きになります。つまり、あの夢はあくまでも三角頭の蚩尤収めまでの話で、凛もその後については考えていませんでした。しかし、「ケガレ」た自分が同じ場所に留まれないこと。さらにオグナの「今後蚩尤が次々に出現する」(4.1.30)という発言。この二つを勘案すれば、凛には主巫女(アチメ)が必要です。しかも、土人形の自分を受け入れてくれる主巫女が。おそらく、仁が準備したあの夢を奇縁として受け入れたように、今度は仁の直接の頼みを奇縁として凛は受け入れようとしたのではないでしょうか。凛が仁にかけた言葉は「ああ…」と、「―ユリは…あんたのなんなんだ?」だけです。ここで凛はユリとファーストネームを呼び捨てています(ここだけ)。この呼び捨ては、凛が柔里に心を許している証拠だと思います。「かけがえのねェ―正真正銘の妹だ……!」という台詞のうち、柔里に響いたのは「妹」、凛に響いたのは「かけがえのねェ」でしょう。

 戸隠に帰る車中。凛は「なら…やっぱり4~5日中に決めてもらわなきゃ」と言った後に、「ユリさんを…僕にくれないか?」と権宮司(陣九郎)に頼みます。柔里の意志も確かめず。おそらく、戸隠神宮から有力な巫女を奪うことへの配慮でしょう。また、ここで柔里「さん」と呼んでいるのは、父・陣九郎に対する敬意でしょう。凛と旅に出るということは、柔里も放浪の人生を歩むことになるわけですから。家族と離れて生きる辛さは、凛も身に染みていることです(日向凛に家族があれば)。現代であれば、柔里に意志を確かめ、その後に家族の同意を得るべきかもしれません。しかし、柔里は「家業」を継いで巫女になっているわけですから、その「家業」から引き離すことの重みを知る凛は、まず陣九郎にお願いしたわけです。

 このエピソード以降、しばらく凛と柔里が一緒のシーンは描かれません。それが描かれるのは「凛、来訪」(5.2.3)と「解藁の姉妹」(5.2.4)です。

11 凛、柔里を探す

 「凛、来訪」と「解藁の姉妹」に至る過程の中で、凛のエピソードでは幾つか重要なシーンがあります。

 その一つが「戸隠の里で」(5.2.2)です。このエピソードでは、凛と柔里はすれ違うだけで、エリにうながされても柔里は凛に声を掛けませんでした。この場面、凛は池の鯉を見つめています。この鯉(魚)はおそらく生の象徴で、ここでは凛は生きていることを実感するために魚を見ているのだと思います。凛は鯉をみながら柔里を待っています。それは旅立ちの意志を確認するためです。しかし、由加ちゃんと権禰宜(小林)の葬儀のために、そのチャンスが無い。ひょっとしたら自分の「ケガレ」を意識して凛は葬儀には参加しなかったのかもしれません。

 柔里が実家に戻った直後、凛はエリに「……あいつは?」と柔里の所在を尋ねますが一歩遅かったことを教えられます。このエリとの会話で重要なのは、凛「ああ…熊杉のある里か…」、エリ「柔里ちゃんとはあそこで出会ったんだってね 運命的に!」、凛「ていうか…何かに呼ばれた気がして熊杉に寄ったんだ そしたらあいつがいた…!」です。この「何かに呼ばれた」は「夢」を指しているのでしょう。ただし目覚めるまでに、凛は夢の細部を忘れてしまったのか、あるいは誤魔化しているのかもしれません。

 この後、凛は正春に呼ばれて戸隠の隠れ里に行くのですが、ここでも凛は柔里を探していることが示唆されます。「凛、来訪」(5.2.3)では、布留の修理のために水谷、今野、正春が出羽に向かうことが決まるのですが、水谷さんに誘われた凛は次のように断ります。凛「ぼくは…遠慮しておこうかな コトって子にここにいろって頼まれているし…それに…」。この三度目の「…」の「それに…」は、柔里に会って旅立ちの意志確認をしなくてはならないことでしょう(この問題とは別に「コトって子」といういい方は気になります)。

 戸隠神宮に戻った凛はエリに再び柔里の所在を聞きます。しかし、今夜、柔里が実家に泊まる可能性があることを知ると、凛「………そうなのか」と考え、どうしても今日中に会いたい様子で、凛「…歩くとどのくらいだ?」とエリに食らいつきます。凛が急いでる理由は、旅立ちの日がわからないからでしょう。

 エリは、この辺りから凛の柔里に対する気持ちを恋心だと勘違い始めますが、その点は未だに曖昧です。「解藁の姉妹」(5.2.4)で、凛・柔里・仁の三角関係に一つの結論が出ることは「柔里編」で書きましたが、それはあくまでも柔里視点で読んだ場合で、柔里だけが仁と凛との間で揺れ動いるだけで、凛の方にはそういう気持ちは希薄で、そもそも凛は仁をあらゆる意味ライバルとは考えいません。凛の気持ちは終始明確には描かれず、謎に包まれているのです。はっきりわかるのは、凛が「葛藤」「苦悩」を抱え始めたということです。「解藁の姉妹」で、柔里を軸にした三角関係が終わる以上、これ以降に描かれる凛と柔里の物語は二者関係であり、二人を阻む障害はおそらく凛の「苦悩」「葛藤」ということになるのではないでしょうか(ちなみにこの日は凛の蚩尤収めから2日目です)。

12 キカイダー=ピノキオ問題

 『ハニワット』が様々な過去作のオマージュに満ちていることは周知の通りですが、物語全般的に一番影響を与えているのは石森章太郎『人造人間キカイダー』全6巻(以下『キカイダー』)だと思います。それは凛の造形、ストーリーの展開にも及びます。

 『キカイダー』の主人公、キカイダー=ジローは光明寺博士に作られた変身ロボットです。その特徴は「良心回路(ジェミニ)」と呼ばれる人工の「良心」が組み込まれていることにあります。この設定は『キカイダー』がピノキオの物語に始まり、ピノキオの物語で終わるようにピノキオをモデルにしています。ピノキオは元々操り人形なのですが、星のめがみに「生命」を与えられます。さらに星のめがみは、コオロギのジェミニィを良心に任命します。ピノキオには善悪の心は無く、気持ちの赴くままに行動するのですが、ジェミニィが善悪を教えます。キカイダー=ジローは「良心回路(ジェミニ)」を組み込まれているので、他のロボットとは違い善悪を弁えます。ただし、この「良心回路」は不完全なので上手く作動せずに、しょちゅう悪に呑み込まれ、それがキカイダー=ジローを「苦悩」「葛藤」をもたらします。『キカイダー』では、ギル・ヘルバートが笛を吹くと、キカイダーは悪い行為を行います。その典型的な行動は、キカイダー=ジローは、保護者のミツコ(光明寺博士の娘)の首を絞め、殺そうとするのです。つまり、ギルの悪い意志に抵抗するために「良心回路」が組み込まれているのですが、不完全で作動せず、同時に「良心回路」があるのでキカイダー=ジローは「苦悩」「葛藤」してしまうのです。

 凛の造形の根幹部分は明らかにキカイダーであり、それが明確にわかるのは「虬霊の禊(みずちのみそぎ)」(3.1.18)の台詞、「…なんだ?ピノキオみたいに節のある…木偶(でく)人形みたいな体をしていると思っていいたのか?」、柔里「! そんな…」です。凛は「神人」という側面ばかり注目を集めますが、その実体はピノキオ=キカイダーであり、「神人」はピノキオ=キカイダーと矛盾しないのです。凛が蚩尤収め(三角頭)の後に、「苦悩」「葛藤」を始めるのは、まさに『キカイダー』でいう「良心回路」の問題にあたります。凛視点から読む場合、「解藁の姉妹」は「良心回路」というテーマの始まりなのです。その最初の兆候は、凛が水谷家を一人辞すシーンの台詞、「蚩尤収めのあと―どうも本調子ではないんだ 頭もぼうっとしてはっきりしないし…」(5.2.4)です。この後、凛は度々不調を訴えることになりますが、今後の物語を導き、凛と柔里との関係性(二者関係)の中心的な役割を担う問題だと思います。つまり凛は「壊れ」はじめているのであり、『ハニワット』の表現を借りれば「ケガレ」始めています。

 「解藁の姉妹」において、三角関係(柔里視点)の終止符は、凛が仁の想い出込みの柔里を受け入れることで決着が着きました。ここでは凛視点で読み直してみましょう。

 凛視点で読む場合、このエピソードの中心問題は柔里が一緒に旅立つか否かという、彼女の意志確認です。これは「解藁の姉妹」の中で決着が着きますが、凛はこれを聞きたくて柔里を探していたのに、一度も柔里に言い出せません。その理由は柔里の姉が帰宅し、水谷家の夕飯に招かれてしまうからです。家族揃った夕飯を楽しむ柔里を眺めている凛の表情はとても明るく、穏やかなのですが、結局何も言い出せずに一人帰宅することになります。おそらく「幸せな日常」から柔里を引き離すことにためらいが生じてしまったのではないでしょうか。しかし、これは柔里が自転車で追いかけてくれたことによって、また柔里の方から一緒に旅に出ると伝えてくれたことから、無事解決します(自転車のエピソード)。

 もう一つは、さきほど説明した凛の体調不良の始まりです。凛は「蚩尤収めのあと―どうも本調子じゃないんだ 頭もぼうっとしてはっきりしないし…」と柔里に告げます。柔里は不安げに凛を見送るのですが、その後に意を決して自転車で追いかけるという流れになります。そう、この「本調子じゃない」から新しい物語が始まっています。何が起きているのかまだ謎なのですが、以後繰り返し凛は不調を訴えるようになります。「鉢かぶり、吠える」(5.2.5)では、正春と口論したエリが凛の体調不良を見て、自分のせいではないかと謝罪するのですが、凛は「いや…関係ない」、柔里「この人さ…蚩尤収めのあと―ずっと調子悪いみたいなの…」と、すでに二人の間で凛の不調は共有されています。凛は、自分の不調の理由を感づいているのですが、まだ言葉に出したくないのです。「新蚩尤、出現」(8.2.28)でも凛は不調を訴え、凛は蚩尤収めをするためだけに「生き延びているのだから…!」と、厳しく辛い自己認識を述べています。柔里は、凛を心配するように見つめるしかありません。この凛の「苦悩」「葛藤」がどこまでも続くことは、明らかでしょう。そして、第3部のメインストーリーは凛と柔里を中心とした放浪であることが予告されています。『キカイダー』では、キカイダー=ジローは、「良心回路(ジェミニィ)」の不完全性から「苦悩」「葛藤」を生じ、一人旅に出ます。ストーリーの展開も『ハニワット』は『キカイダー』のオマージュになっているのです。

 ここからはぼくの完全な想像(妄想)です。おそらく、凛は第3部でどんどんダークサイドに引き込まれてゆくでしょう。それが『ハニワット』でいう「ケガレ」です。そのダークサイドに引き込まれる凛を助けるのが柔里(「良心回路(ジェミニィ)」)であり、残酷な「葛藤」「苦悩」が描かれるように思います。キカイダー=ジローがミツコさんの首を絞めるように、凛も柔里の首を絞めるかもしれません。それどころから実際に「絞殺」する可能性も考えられます。あるいは蚩尤収め(どれかはわからない)の犠牲者として柔里は生命を落とすかもしれません。そして、凛は柔里を取り戻すために黄泉(地獄)に赴き、彼女を現生に連れ戻す物語が展開します。イザナギとイザナミの物語のように。それは柔里の復活の物語です。

 ある夜、凛は月をみながら柔里の復活を待ちながら、「月が…きれいだ」と呟きます。その傍らで柔里は「神人」として蘇ります。大きな瞳をゆっくり開くと、そこにはあの「ぐりぐり眼」が美しく輝くのではないでしょうか。柔里の顔を覗き込む凛に対して、柔里は「あまり…間近で見ないで…」と囁き、凛は「うん…」と、答えるかもしれません。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?