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話しておきたい古代!①

 実は、「磐井の乱」を調べていて、風土記では筑紫の君磐井が破れてなくなったのではなく筑豊に逃れ、その後墓まで詳細に記載されていると聞いた。山家に阿部・磐井の祖=大彦命を見つけ、日田・玖珠を調査するにいたって、磐井の逃走経路では無く、謂わば拠点として言い換えれば「久留米の姉妹都市」として築かれていることを垣間見たのだった。(見出し写真は愛媛沖)

 大彦命は「四道将軍の物語」として、娘・御間城姫を崇神妃として嫁がせ外戚として、将軍として息子とともに赴任している。このような「遠征」は古くは景行、日本武、仲哀・神功、継体(物部麁鹿火)らが居るが、景行や継体の磐井戦争の場合は「斧鉞」(殲滅)を貰って遠征する形をとっている。
 大彦命の場合は「巡狩」(治安・視察)だったようである。詳細は別稿に譲るが、四国・伊予(現在の愛媛)を調査した時に意外な神社に出会った。


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伊予神社

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主祭神 彦狭島命  (孝霊天皇の皇子の彦狭島命)
配神
愛比売命(草野姫)
伊予津彦命(伊予皇子
伊予津姫命
日本根子彦太瓊命=孝霊天皇
細姫命=卑弥呼宗女イヨ(卑弥呼の孫、ウマシマジの妹)
速後上命

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系図を見て貰うと分かるが、壱与(イヨ)や伊予皇子は、卑弥呼の孫、曾孫の世代であることが分かる。「伊予とは壱与だった!」とは、なんともびっくりする展開である!
 又下図は九州王朝の礎を築いた『孝霊・孝元・開化』(三階松はこの三代を表す。)と大彦命の勢力範囲の一部だが、東北までいれると相当広範囲である事が分かる。五七桐紋・木瓜紋は、開化天皇 五三の桐紋は神功皇后が使っている。まるで、古代の「日本統一図」と思うばかりに広範囲におよぶのである。



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 因みに防府天満宮(旧県社)は菅原だが、こっそり三階松が使用されている。開化紋は、門光紋(花菱紋)だがそれ以前は五七の桐紋(五三の桐は女紋)である。(*クリックで拡大)

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防府天満宮の神輿!の三階松がちゃんと打ってある。隠せない!

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また、土佐國一之宮 土佐神社 は鵜葺草葺不合命が祀られているが、イヨと腹違いの兄妹の関係である。土佐と愛媛は、兄妹だったんですねえ!(系図参照)

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