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相手に合わせること

はじめに

初投稿です

簡単に自己紹介すると現在大学四年生で来年からは社会人です

友人がnoteで投稿を始めたのをきっかけに観る専用でアカウントを作ったのですが、最近自分の考えを整理するために書いてみたいなと思いました

もともと私は相手の話を聞くことが好きなのと、じっくり考えてから発言するタイプなので拙い表現ばかりで見苦しいとは思いますが、温かい目で見ていただければ幸いです

今回のテーマについて

先述した通り、私は相手の話を聞くことが好きです
というのも知識欲が旺盛なんです笑

事の本質を考えたり教えてもらったりすると頭の中の靄が晴れていくような感じがして脳内に興奮物質がドバドバ出てくる感覚が堪らなく好きです笑

新たな知識や思考、価値観を得るたびにまだまだ知りたい!って思うし、どんなことに対しても謙虚でいなければいけないなとも思います

幸い、私の家族や友人をはじめ親密な関係の人たちは私同様、知識欲が強く、また理解のある人が多く、恵まれた環境にいるんだなと痛感しています

しかしそうなればなるほど、現実に目を向けると知識欲があまりない、もしくは優先度の低い人が一定数います
決してそのような人々の人格を否定するわけではありませんが、彼らと話すときはとても神経を擦り減らしてしまいます

おそらく彼らからすれば、私のような知識欲を持つ人に対して「なんでそこまで考える必要あるの?」「もっと感覚的に捉えればいいのに」と思っているかもしれません

ただ私からすれば、なぜ本質を考えずにのうのうと生きていけるのかが不思議で仕方ありません
例えば、同じことを選択するにしても何も知らずに選択することと知った上で選択することでは大きな違いが生まれると思っています

そしてそのような人々と話すときは自分が相手のレベルに合わせて話さないといけなくなることが精神的に参ってしまう場面が多々出てきます

自分なりの解


私は基本的には合理的な思考回路を持っています
どんなに社会的に敬われる行為であっても自分に利益がなければ絶対にしません
仮に自分の行為が他者に利益があったとしても、それは副産物でしかありません

それゆえ1番気が楽なのは、知識欲のない人には極力接しないこと

ただ、冒頭でも述べた通り、他人に謙虚であることに変わりはありません
避けては通れない場面は現在もこれからもあることは明白です
ある一定の基準で割り切る覚悟も必要

しかしそれもそれでかなり疲れるーーーーーー
そんな循環思考で疲労スパイラルに入りがちです笑

自分は自分、他人は他人
期待に応えるのは自分の期待だけで精一杯
それでいいかなとある意味自分に甘えた解を出しました

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