自己承認欲求がどうでも良くなってしまった話
くろろじです。
今回は自分の自己承認欲求について書いてみたいと思います。
こんなタイトルにしていますが、僕はYouTubeもやっていますし他の人よりは今でも自己承認欲求のある人間なのだと思います。
ある日、ディアブロ4の発売直前あたりに僕は生配信で200人以上の人を集める配信をしたことがあります。
※僕自身が人気になっていたというよりも、コンテンツが人気だった的な売り方でした。なので一種の勘違いではあります。
この数字を多く見るのか、少なく見るのかは人によって違うと思うのですが、僕としては非常に多かった。
そして、その時に僕が昔から憧れていた「インターネットで有名になってやるんや」みたいな野望が叶ってしまった気がしたのです。
中にはこんなんじゃ足りない!という方もいらっしゃると思いますが、当時の僕としては充分だったと言えると思います。
そして、実際にそんな数の視聴者の方を前にして思ったのは「自分が目指していた世界は、こんなもんなのか…」という虚しさに似た何かでした。
この辺りから、僕は別に有名になんかならなくてもいいと考えるようになって、SNSで数字を増やしていくということに違和感を感じるようになったのです。
数字を増やしていくというと、再生数や視聴者数など見てくれている人よりも全てが数字、データに見えてしまうというような病を発症した感じに聞こえるかもしれませんが、ともかくSNSに関しての数字稼ぎに興味がなくなってしまいました。
先ほども書きましたが、僕はなんか知らないけど有名になりたかった。だから動画作りもYouTubeの攻略法も少しずつ調べたりして、僕なりに頑張ってきた。
でも、自分の中で基準に達した時に本当に虚しくなったわけです。もういいや!みたいな。
そこで僕はディアブロ4をプレイする人を増やすと言った社会貢献をしよう!という考えで活動するようになりました。
つまり、有名になるみたいなことを目的にするのをやめたわけです。
こうすると本当に活動が楽しくなった!SNSでの人気というよりも、ちゃんと役立ってる感みたいなのを得やすくなったみたいな。
そうなのです。僕自身、有名になりたかったというよりも「役割を見つけてそれに徹する」ということがやりたかったのだということに気がついたのです。
自分の中にあった自己承認欲求なんて本当にどうでも良くて、自分はなんだか安心したかったのだなと。
そして、僕にライバルのような方が現れた時には僕はダメになってしまう気がする…んだけど、今はぜひ友達になりたいと考えています。
人の繋がりが無ければ、僕の目的は達成できません。
そして、有名になるという気持ちはとても下品だと思ってたけれども、行動につながる何かを見つけられるのであればすごく良いものなんだなと気がつきました。
ただ単にお金やSNSに踊らされる人にならないように気をつけようぜ!ということが言いたかったのかもしれない。