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可哀想って言うな。②

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NYに住む自分は、震災の直接の被災者ではない。
石巻で実際に被災した私の家族、そして、そこに住む人々こそが真の被災者だ。

家族を失い、家を失い、仕事を失い、不幸のどん底にいる人達は、間違いなく「可哀想」だろう。
国からの大規模援助が決まり、全世界から義援金が集まった。
全国から、ボランティアが訪れ、瓦礫の撤去などの作業を手伝い、また、芸能人達が石巻で無料コンサートを開催し、被災者の人達に癒しや潤いを与えてくれた。
自衛隊が運んでくれる支援物資も増え、無料で必要なものが手に入るようになった。

だが、時間が経つにつれ、仕事がないからと、パチンコに行く人が増え、義援金が入ったことで、それを機に離婚する夫婦も結構いた。
被災した可哀想な子供達に対し、大人たちは腫れ物に触るように接したのだろうか? 食べたいものを好きなだけ食べさせ、トラウマを抱える子供達に勉強しなさい、と強く言えなくなったのだろうか。
石巻の子供の学力は全国でほぼ最下位になり、全国一虫歯の多い地域になったらしい。
それを知ったら、また、多くの人は、「可哀想に。」と言うのだろうか?

一方で、何年経っても、マスコミはこぞって、「まだ、復興まで道は遠い。」「まだまだ、こんなに悲惨な人たちがいる。」と、3月11日が近づくと喧伝した。私たち家族は、「被災地の明るいニュースもあるのに、なんでそっちは取り上げてくれないのかね。」と、一部の暗いニュース、それも地元ではワケありと言われているニュースばかり取り上げる番組にうんざりし、観なくなっていた。
まるで、被災者はずっと、可哀想な被災者でいて欲しいように感じたから。

「可哀想」って、やっぱり、私は怖い、と思う。

あの女子トイレで味わった、甘美な気持ち。それに身を任せたら、どんなに楽かと思うほど、それは誘惑的であった。
きっと、「可哀想に。」と抱きしめている側も同じ感覚を味わっていたのではないか。自分の存在価値を感じるとでも言おうか。
それが後々、相互依存の関係に繋がっていくのかもしれない。

私は、そんな関係は嫌だ。

こんな風に思うのは、私が被災者当事者ではないからだろうか?

そんな私は、2014年の大晦日に「乳がん」告知を受け、今度は思いっきり、不幸の当事者になった。

そこでの、可哀想な話は、次回に続く。




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