旅立った日より大切な日
ふと、昨日、顔を洗いながら、気づいたことがある。
あれ?なんで、死んだ日にそんなに拘るんだろう?と。
最近、2016年12月16日に、13歳と10ヶ月で天国へ旅立った先住犬ミルキーの最後の時間を思い出すことが多くなった。きっと、シニア犬のコーディの命がもうそんな遠くないと感じるからだろう。
ミルキーの最期を思い出す度、あの治療や手術の選択は正しかったのか?自分のエゴだったのではないだろうか?もっと、早く気づいて、できたことあったのではないだろうか?など、兎に角、その時はベストな選択だと思って選んだことを、何度も何度も後悔した。
そして、そのうち、後悔するのも悪くないな、とさえ思えるようになった。なぜなら、後悔する度に、ミルキーのことを思い出すから。傷ついた心の痛みすら甘く感じられたのだ。
でも、昨日は違った。
ミルキーにとって、最期の日は、ミルキーの犬生の中のたった一日。それをまるでミルキーの一番の重要な日として、ずっとずっと思い出してはメソメソするのはどうなんだろう?
それより、ミルキーが生まれた日、誕生日の方がずっとずっと大きな意味がある日なのではないだろうか?
だって、ミルキーがこの世に生まれてくれたから、私はミルキーと出会え、一緒にたくさんの時間を過ごせたのだから。そっちの方が、ずっとずっと大切じゃない?死んだことより。
きっと、ミルキーも同じ気持ちじゃないかな、と思えた。
2月24日、ミルキーの誕生日はもうすぐだ。 そして、2月25日は、
コーディの誕生日。4年前、年齢不詳の保護犬として、うちに来た日。2匹共、大切な大切な宝物。
ミルキー、そして、コーディ、
ありがとう、生まれてきてくれて。
そして、ありがとう、うちの仔になってくれて。
出会いは奇跡だね。今年も、来年も、ずっとずっと誕生日をお祝いしよう。
あなたが生まれてきた事が、わたしの幸せそのものなんだから。
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