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ペットの老後と終活を考える(1)

最近、動物関係の友人から、「黒リス(私)さんは今まで2匹の犬を看取った経験があるけど、晩年期で後悔したことがあれば教えて下さい。」と聞かれたり、丁度、同じ頃、友人の愛犬が旅立ったりもあり、改めて、ペットの晩年と死について考える機会となった。

ペットロスという言葉は、日本では2000年代に入ってかららしいが、確かに、私が日本に住んでいた1994年ぐらいまで、聞いたことのない言葉だった。しかし、アメリカでは1990年代頃から、精神疾患の契機として重要視され始めたらしい。日本はアメリカの後追いをしている状態と言えるのかもしれない。

それにしても、なぜ、その頃にペットロスという言葉が生まれたのだろう?

ひとつは、その頃から、ペットを室内で飼い、家族の一員と認識しはじめたからだろうか?

もう一つは、ペット医療の発達により、ペットの寿命が一気に伸びたからかもしれない。(蚊を媒体とするフィラリア予防の薬が1981年から動物にも販売されるようになり、犬の寿命は2倍になったとされている。)

ただ、ペットの寿命が2倍になったとしても、やはり、飼い主よりは先に旅立つのが自然だし、いや、そうある方がいいはずだが、それがどうしても受け入れられない。下手したら、不謹慎なことを言うようだけど、ぶっちゃけ、親の死よりもショックだったりする。なぜだ?

多分、ペットって、家族の中でも”子供”の役割だからじゃないだろうか?

自分の親が先に逝くのは、見た目も自分より老いており、悲しみはあれど、仕方ない(当たり前)と心が認識するけど、ペットの場合、ずっと”子供”なんだよね。仔犬時代から飼っていれば、そりゃ、成長を見ているから、仔犬のままじゃないとは分かっているけど、でも、やっぱり、家族の中ではずっと”子供”ポジション。自分にとっては、間違いなく”子供”。本当は気がつけば、飼い主の年齢を超えていたりするんだけどね。

自分の子供の死は、やっぱり、親の死以上に受け入れ難い。そして、もっと自分はこの子にやってあげられた事があったんじゃないか?自分の治療の選択が間違えていたんじゃないか?等、多くの後悔に悩まされるケースもあるだろう。

私も経験した。

だから、もっと、考えてみたい。ペットの老後と終活について。

(つづく)




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