「連載」ツーピース:チームすー。地球一周大冒険(18)
ちょっと気を抜いていたら、パナマにいました。
週末の小旅行の疲れからか、黒リス、ぼーっと過ごしていました。そうしたら、コスタリカのエキゾチックな野鳥や動物達を見る間もなく、すーみん。ジャパン号は、コスタリカを去っていたのです!!これはもう豪華客船というより、軍艦です。風景なんて見ている暇があったら、動け!!と、いった具合のスピードです。それも、隊員達(もう船員ではない。軍艦なので隊員)は、皆、嬉々として働いている(走っている)のです。日々、何十キロも。
そんな変態隊員達に囲まれている以上、黒リスも、働かなければなりません。そんな訳で、早速、一夜漬けどころではない、10分間浅漬け知識のパナマ情報を披露しましょう。
まず、パナマと言えば、”パナマ運河”、と真っ先に頭に思い浮かぶけど、その実態を問われると、ウッと口をつぐみたくなるのは黒リスだけじゃないはず。大体、パナマって北米大陸?それとも南米大陸?って、ところから謎。
答えは、その境目。へー、つまり、国自体が、北米大陸と南米大陸の橋みたいなもんだね。それだけじゃなく、太平洋と大西洋の境目でもある結節点。
で、その太平洋と大西洋が繋がったら、すごいね!って発想で出来たのがパナマ運河。そして、なんとそのパナマ運河建設に若き日本人が関わっていたなんてご存知でした?!黒リス、朝から心震えたわ。
(上記ウェブ記事抜粋)
”パナマ運河には日本人の活躍が欠かせなかった
一人の日本人技師、青山 士(あおやま あきら)氏は、今でもパナマ運河建設の歴史において語られる重要人物です。
1903年当時26歳だった青山氏は、東京帝国大学土木工学科卒業時に恩師廣井教授よりパナマ運河建設の話を聞き、同年単身米国に渡航。翌年からパナマで末端測量員として動員されました。その後短期間の内に昇進を続け、測量技師補、測量技師、設計技師を経て最終的にガツン工区の副技師長として活躍していました。困難を極める地形との戦いにも負けない有能さと、マラリアに罹患し命を落としそうになりながらも従事し続ける誠実さで、高い評価を得ていました。しかし、1911年に日米関係の悪化のために、運河の完成を見ずに、帰国を余儀なくされていまいました。
[第二次世界大戦時の運河爆破計画]
日米の対立が悪化していた、第二次世界大戦時、旧日本軍はパナマ運河の爆破計画を行っていました。この計画を進めるにあたり、旧日本軍は当時運河建設に参加した青山氏から運河の破壊方法を引き出そうとしましたが、青山氏は「私は運河を造る方法は知っていても、壊す方法は知らない。」と語り、パナマ運河は守られたのでした。”
ううう、かっこいいぃぃぃ。目頭が熱くなる。これは、是非、NHKの朝ドラにして欲しい。主演は、、、嵐のニノがいいかなぁ。で、やっぱり、旧日本軍の嫌らしい役目には、香川照之を推薦したい。(すっかり、プロデューサー気分)
と、そんな都合の良い妄想をしている間に、すーみん。号は、一心不乱に、そのパナマ運河を横切り、第一区間終着点コロンを目指すのであった。
チームすー。ジャパン:現在走行距離3,549.49キロ(2,218.43マイル)201チーム中56位。 ゴールのパナマシティまで、残り470キロ!
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