「小説」セントラルパークランナーズ(26歳・X性)#2
「で、どうだったのよ。」
アパートに戻るなり、素良(そら)が聞いてきた。素良は、一緒に生活する友達のようなパートナーのような、一言で言えば、世界で一番心地良い関係者だ。2年前に知り合い、ああ、こんな生き方が出来るんだ、と感銘を受け、生まれて初めて、素の自分を見せられるようになった相手。
そう、僕は、最近はカテゴリー分けされるようになった、アロマンティック・アセクシャル(他人に恋愛感情も性的感情も抱かないタイプ)ってやつらしいく、素良と知り合ってそれを自覚した。そんな素良は、肉体的性別は女性で、アロマンティックと自分で思っている。つまり、二人とも、恋愛感情を抱かないのが共通。でも、誰よりも信頼でき、お互いを思いやる気持ちも強い。本物の家族より理想の家族に近いとも言える関係だ。もちろん、今の所は、、だけどさ。
そんな素良が、ソファーに寝転びながら、僕の今日のNYRR(ニューヨークロードランナーズ)の10キロレースのことを聞いてきた。目は携帯から離さずね。
「うーん、微妙。ちょっと先にシャワー浴びてくるね。」
シャワーを浴びながら、「どうだった?」の答えを考える。
どうって聞かれて、結果(タイム)を話すものなのか、感想を話すものなのか?
バスタオルで濡れた髪をゴシゴシしながら、でも、まだ、考えがまとまらず、仕方ないので、そのまま頭に浮かんだことを話し始めた。
「周りのランナーはみんななんか興奮していた。自分も小学生以来の大会って舞台に何らしかの感情が芽生えるかと思ったけど、別に・・・。ああ、小学生の運動会と同じだなって思ったぐらい。スタートして、うーん、僕さ、今までの記録がないじゃない?だから、タイムの遅い後ろからのスタートになるからさ、自分のペースで走ろうとしても、人が多くて、多くて、前に進むのが大変で、ああ、不自由だなぁ、とうんざりする頃に終わった。」
プッと吹き出す音がソファーから聞こえ、その後、ゲラゲラと大笑いした素良が言った。「ね、私が予想した通りだったでしょ。あなたは変わらないって。」と。
「まあね。たださ、タイムは、不思議でさ、いつも自由気ままに、だけど、それなりに一生懸命走るセントラルパーク1周(10キロ弱)より、速かったんだよ。」
「へー、どれぐらい違うの?」
「確か、普段は、速く走りたい気分で走った時は、40分ぐらいで1周するんだけど、今日は37分ちょっとぐらいだったかな。」
「へー、その2、3分の差ってそんなに重要なの?」
「うーん、重要とかの問題より、同じように一生懸命走っているとして、一人で誰の邪魔もされず走っている時より、今日のレースの方が、速く走っているって事実に驚きって感じ。」
素良は無言で携帯から目を離し、ソファーに座り直し、少し一点を見つめた。これは素良が考えに集中している時のポーズだ。
「考えられるケースは二つ。1、あなたは無自覚ながらレースに興奮していて、アドレナリンが出ていた。ま、火事場のバカ力が出たって説。2、単に嫌で嫌で堪らないから、速く終わりたくって、その場から逃げるように走り切った説。」
なるほど、さて、僕はどっちだったのだろう?それとも第三の答えがあるだろうか?
自分の心の記憶を辿ろうしたが、素良の次の言葉に阻止された。
「ま、どちらにせよ、その事実を更に検証したいのであれば、また、レースに出てみれば?」
「え?それって、また、レースに出る理由になる?そんな理由でレースに出る人っているかなぁ。」
「いない確率の方が高いと思うけど、それ、別にどうでも良くない?法を犯しているわけじゃないし。無数がやりたいことをやれば良いんじゃない?」
素良はやはり良いことを言う。僕は、さっきまで感じていたレースのストレスやモヤモヤがスーッと消えていくのを感じた。
「そういえばさ、NYRRって、今年から、ノンバイナリーってカテゴリーが出来たらしいよ。僕さ、今回は男性で出たけど、今度はノンバイナリーで出てみようかな。なんかちょっと面白いかなって思ってるんだよね。僕を認めてくれる場所があるってのが嬉しいって言うか。」
「良いんじゃない?レースに出る理由は色々で。自分自身を表現したいって欲で出るのだってアリでしょう。って言うか、世の中に”なし”って実はないんじゃないかと思うのよね。自分はどうかってだけでさ。突き詰めていえば、別に誰かに認めてもらわなくても良いと思うのよね。自分さえ良ければ。」
素良は僕より強い。僕はまだどこかで、僕と言う人間を、世間に理解して欲しい欲があるのだろう。だから、いつもどこか心がモヤモヤしている。
「謎が謎を呼ぶっていうから、もしかしたら、無数はこれから結構、レースに出まくるかもね。」
素良がニヤニヤしながら言った。思わず、僕の眉間にシワがよる。せっかく忘れかけていた今日のストレスフルだったレースが思い出されたからだ。
だが、素良の予言は結構、当たる。
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