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正しいってなんだろう?

ロシアのウクライナ侵攻のニュースを色々観ていたら、ウクライナ市民が有事の際に向けて射撃訓練を受けているという内容があった。その中には80代のおばあちゃんが参加し、インタビューを受けていた。

「自分の孫や家族を守るためには撃つ。」と毅然と答えていた。

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昔、多分、小学高学年の頃だと記憶している。父との恒例の問答タイムに、

「ルールは守るためにあると思うか、破るためにあると思うか?」

というものがあった。生真面目過ぎるというか融通がきかない鈍臭いタイプだった私は、当然、「ルールは守るためにある。」と主張した。理由は、「ルールをみんなが守らないと社会や学校がめちゃめちゃになるから。」というものだった。それに対し、父は更に聞いてきた。

「黒リス(私のハンドル名)は、ナチスのユダヤ人虐殺を知っているよな?その当時、ナチスはユダヤ人は殺すべき人種だから、殺すべきというルールの下、みんなで大量虐殺をしたんだよな。黒リスもそのみんなだったら、そのルールに従って殺すのか?」

私はその問いに答えられなかった。

ただ、ルールというものはあくまでも完璧じゃない人間という生き物が作ったものであり、いつも正しいとは限らないことに気づいた。

そして、子供の私は、”社会が作ったルールより、自分の心のルールを大切に生きる”と決めた。つまり、”殺すことが正義というルールでも、私は殺さない。”ということだ。

だが、今回、このニュースを観て、わたしはまだまだ甘ちゃんだったな、と感じた。

自分が守りたい、守るべきものの為には人を殺すことも辞さないってのもあるのかもしれない。今の日本で、こんなウクライナのおばあちゃんみたいな高齢者いるかなぁ。いや、高齢者じゃなくても、日本に住んでいると、戦争は対岸の火事にしか感じられず、その火事が迫ってきたら、「誰か守って、守って。戦争はんたーい!」って騒ぐだけなのだろうか?

私が彼女(ウクライナのおばあちゃん)の立場ならどうするだろう?

うちのくるみ(愛犬)に銃を向けられたら、殺されそうになったら、、、

「ちょっと待って。まずは、あなたがやろうとしている事が本当に必要なのか、話しません?」

私も銃口を向けながら、そう訊くことにしよう。



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