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遠方から友来たる。

彼女が引っ越して、もう5年になるのかな。ニューヨークから、サウスカルフォルニアに引っ越していった友人が、先日、ニューヨークシティマラソンを走りに戻ってきた。彼女とは、もう15年以上の付き合い。最初は犬繋がりで知り合い、その後、ほぼ同時期に走り始め、つまり、彼女とはワン友でありラン友である。

そんな関係だと、さぞかし、しょっちゅう一緒に出歩いたり、おしゃべりをしていた仲だろうと想像する人も多いかもしれない。
しかし、実際はそんなこともなく、ランニングもお互い都合が合えば一緒に走ることもあったが、敢えて、毎回一緒に約束して練習するなんてこともなかったし、一緒に買い物やご飯を食べに行くなんてことも記憶にある限りない。犬同士を会わせて遊ばせた事も一度もない。電話やメールのやり取りも、必要がある時しかしないというレベルである。

ましてや、「私たちって友達よね?」なーんて会話は一度たりともしたことがない。

どうやら、昔から私は、「友達になりましょう。」と初対面で言ってきたり、「私たちって友達でしょう?」と確認してくるようなタイプは苦手らしい。
多分、”大体、友達って、なると決めてなるものか?”って思っているからだ。私の中での友達の定義は、”信頼できる相手”であり、それはある程度の時間が経たないと分からないもの。それなのに、最初から、”友達になりましょう。”って言ってくるって、猜疑心が強く、性格の捻くれている私からすると、”何か魂胆がある。”と感じてしまう。実際、そのタイプは、”友達なんだから、これやってくれるよね?”みたいなアプローチをしてくるケースが多いように感じる。そう言えば、子供の頃、”一緒にトイレに行く”のが友達の証みたいなのがあったなぁ。
私はその頃から、それって、友達かよ、って思っていたよ。

ちなみに、私の友達は、普段は大抵、そっけない。
だけど、2011年3月11日早朝に真っ先に電話を掛けてきて、「黒リスの実家の方が地震と津波で大変なことになっているよ。すぐに電話して。」と知らせてくれたり、2012年11月のハリケーンサンディ後のニューヨーク大停電の時は、私が困っていないか聞いてくれ、すぐさまランタンを貸してくれるし、最初の抗がん剤治療の付き添い人を募集した時、「その日、会社だけど、1時間ぐらいなら抜け出して付き添えるよ。」と真っ先に手を上げてくれたりするのだ。
愛犬がてんかんを患い、大変で目が離せない時も、食料買って、駆けつけてくれてたりする。

で、それを恩着せがましく言ったりしない。問題が解決したら、また、いつものそっけないレベルに戻る。
そんなこと、あったっけ?ぐらいの記憶しかないような態度なのだ。

人間として上等だなぁ、と思う。中々、出来ないぞ、と思う。
もちろん、お互い、”オイオイ、勘弁してくれよー”って思う瞬間もあるかもしれない。でもね、それも含めて、友達なんだと思っている。

彼女の方はどう思っているか?なーんてことは全然気にしない。
だって、それは彼女の心が決めることだから。

私は勝手に思っていれば良いのだ。
”私は友達に恵まれている。”と。














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