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老いについて考えてみた

「昨日、デパートを歩いてね、ショボくれたお婆さんがいるなぁ、と思ったら、鏡に映ったあたしだったのよ。もう、ショックでね。」

と、電話越しに話した母は、あの頃、幾つだっただろうか?
多分、70代になるかならないかぐらいだったと思う。
その頃、多分、30代後半ぐらいだった私は、”そんなの当たり前だろ。お母さんは、十分、もうお婆さんだよ。”と、心の中でツッコミを入れていたのだが、最近、携帯のカメラが自撮りモードになっていて、心の準備なしに自分の顔が大写しになった時、同じ感覚が沸き起こる。
自分の年老いた顔にギョッとし、その後、軽くショックを受ける。

8年以上前、乳がん告知を受け、1年間の辛いフルコース治療を乗り越えた時は、あんなに、”歳を取れるって、なんて幸せなことなんだ!”と思えたのに、実際、歳を取っていくと、自分の老いを幸せと受け取れない自分もいたりする。何が、そんなに”老い”が嫌なのだろう?

「うちのお向かいさんが、先日、100歳の誕生日を迎えたのよ。市からなんかお祝いが届いたみたい。」

現在、自立型高齢者アパート住まい母とは、コロナ禍以降、毎週日曜日(日本は月曜日の朝)にLINEでビデオ電話をしている。先週の会話がちょうどその話題だったので、84歳の母からすると、100歳の年上女性をどう感じるのか聞いてみた。

「へー、でも、今、100歳って結構普通なんでしょう。昔は珍しいから、市がお祝いとかしていたんだろうけどさ。今でもやっているんだー。お母さんも間違いなく長生きしそうだけど、100歳まで生きて、お祝い欲しい?」
「え、ご遠慮したいわ。」
「なんで?」
「だって、、、、その100歳のおばあちゃんの顔、もう、ものすごい細かい皺で覆われていて、、、恐ろしいぐらいなのよ、、、。」

そこ?!

って、いつもの如く、瞬間的に、心の中でツッコミを入れたけど、案外、的を得た回答かもしれないと今は思う。
特に、女性が老いるのが嫌な理由は、そこ、かもしれぬ。

「皺は年輪みたいなもので、長生きの証拠。皺も愛せるといいね。」

と、思える日が私に来るだろうか?





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