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ペットの老後と終活を考える(2)

人間もペットも長生きになった。

長生きって良いことだと当たり前に思っていたけど、今、日本は、高齢化社会問題で大変。そして、多くの人が、”死なないのが普通”と錯覚しているみたいにも思える。そういえば、最近、90代の寝たきりの母親を亡くしたことに腹を立てた60代の息子が、世話になったドクターを猟銃で撃ち殺すなんて事件もあったなぁ。

医療の発達の恩恵を受けることが必ずしも良い方向に進むわけではないのかもしれないね。

昔は、赤ちゃんがちょっとしたことで死んでしまうことも多かったし、歳を取れば、なんかしらの病気になり、結構、あっさり死んでしまうのが普通であり、だからこそ、”長生き”に価値があったし、敬われもした。だって、滅多にないことだから。

だけど、みんながみんな、”長生き”を勝ち取ったら、今度は、”不老不死”を願うようになったみたいに思える。人間って、本当に貪欲な生き物ですね。

それに比べ、ペット(動物)達はどうだろう? 自分の経験から考えてみよう。

ニューヨークで初めて飼ったロングヘアーチワワのミルキーは、10歳ぐらいまで、健康で病気や怪我も無縁な生活をしていた。だが、翌年の健康診断で、ずっとミルキーを担当してくれていた獣医さんが、何か引っかかるものを感じ、身体全体のレントゲンを撮ることにした。結果、肺に大きな腫瘍が発見された。それを受け、高度医療を提供する病院でペットスキャンをして、悪性腫瘍、つまり、肺がんと診断確定。幸いにも、転移は見られず、腫瘍を取り除けば、助かる見込みが高くなるとの説明を受けた。その時点で、すでに、40万円程度かかった。手術代は60万円程度と説明された。

11歳の小型犬ミルキーは人間だと50代後半か。今の時代、まだ、死ぬ歳ではないと思った。今の年齢なら大手術にも耐えられるだろう。癌をさっさと取り除き、残りの人生を元気に過ごして欲しい。相方と話し合い、手術を決めた。

手術は成功した。

だが、怖がりのミルキーにとって、術後の痛み、入院生活は私たちが想像していた以上に苦痛と負担でしかなかった。それでも、私は、「今はもう少し頑張って。絶対、元気になるから。」とスパルタ母だった。実際、ひと月ほどで、普通に生活できるようになった。犬の回復力のすごさを感じた。

だが、半年を過ぎた頃、ミルキーは癲癇(てんかん)を発症した。薬の投与が始まった。1日3回、もしくは、1日2回、シリンダーで薬を口から流し込む。ミルキーは嫌がり、逃げ回り、ついには私を噛むようになった。それでも、癲癇を止めるべく、薬の投与を続けた。ミルキーは私に怯え、でも、私は、自分が嫌われてでもいいから、この子の癲癇を止めてあげたかった。それが愛だと信じていた。

だけど、今は後悔している。

ミルキーはそんなこと(私が良かれと思ってやっていたこと)、全然、望んでいなかったから。

ミルキーが望んでいたのは、ずっとミルキーが大好きなママちゃんでいてくれること。今なら、分かる。でも、その渦中にいる自分は気付くことができなかった。自分の選択が正しいと信じ込んでいたから。

結局、ミルキーは、薬の投与虚しく、癲癇が完全に収まることはなく、次第に激しくなっていった。それを見ているのが辛く、私と相方で安楽死をするべきか迷っているうちに、自ら、旅立って行った。

肺がんの大手術をしてから、1年と10ヶ月程度の時間。そのうちの6ヶ月以上が闘病期間。人間の1年は犬の6年ぐらい。6年も長生きしたから良かったじゃん、と思えるかと自分に問いただすと、非常に苦い気持ちが湧いてくる。

(3)では、ペットの老後の医療費について考えていきたいと思う。

(つづく)



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