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そんなに急いでどこへ行く

「最近の若い子の歌、さっぱり、何を言っているのか聞き取れないのよ。」

先日、日本に住む老母84歳とビデオチャットをやっていた時の会話だ。

「お母さん、昔から早口で喋る人の会話についていけなかったもんね。」
「年を取ると、ピックできる音が狭まるらしいから、聞き取れなくても普通かもよ。」

なーんて、その時は、さらっと応えたのだが、、、後で思い返し、確かに、最近の曲は、昭和の曲に比べ、リズムもテンポも高速だなぁ、と改めて思うのである。
また、前奏もほぼなく、いきなり、サビって感じでもある。ダウンロードで聴けるようになり、前奏が長いと、すぐに次の曲にいかれちゃうかららしい。

思い返せば、昭和の歌も、1960年代、70年代、80年代、90年代と時代が進むにつれ、全体的に曲のテンポが速くなっている。つまり、古い曲ほど、スロー。
考えてみたら、江戸時代の長唄なんて、逆に遅すぎて、何を歌っているのか分からないレベルである。
でも、きっと当時の人たちには、そのテンポが心地良く、最先端に感じられたのかもしれない。。。
ってことは、その頃の人たちの会話の速度も、今よりずっとゆっくりだったのではないだろうか?
もし、今、江戸時代の人達が、私たちの会話を聞いたら、「速すぎて、何を言っているのか分からない。」となるのではないか?

そういえば、そんな流れは、音楽だけじゃないことに気づく。

「簡潔に言って。」
「結論から話して。」
「要点だけ教えて。」

他人との会話も、文章も、何もかもがスピード感が増しているようだ。

最近、友人から譲り受けた昭和初期の小説を読んでいて、つくづく、一文一文の文章が長くて、読むのに集中力が必要なのを実感する。
実は、本好きの自分でも、一体、何が言いたいんだよー!って気持ちが沸き起こり、ついつい飛ばし読みをしてしまっている。

映画に関しても同じようで、youtubeで、映画紹介動画など20分ぐらいで内容が把握できるのに慣れてしまい、2時間を超える映画に耐えられなくなっている自分がいる。
まあ、昔から、ワンシーンがやたらと長い、映像美を見せる映画の良さの分からない凡人俗人タイプだったこともあるが、最近はそれが加速している気がする。

手紙でやり取りしていた時代に比べ、Eメールが普及したことで、伝達速度が爆上がりし、昔の人に比べ、7倍速ぐらいで物事を知る、なーんて話を20年ぐらい前に聞いた記憶があるが、その後、インターネットが発明され、情報量の伝達速度は、更に加速したであろう。人間の情報処理能力がどれぐらいあるのかと思うが、もしかして、端的に、短くしてくれないと、次々に脳に飛び込んでくる情報の処理が間に合わないのかもしれない。

いやー、このまま、言語速度が加速し続けたら、、、と想像すると、未来の人間の会話を今の私は間違いなく聞き取れないであろう。

それにしても、そんなに急いでどこへ行く?
寿命は伸びているから、時間は昔の人に比べて、たっぷりあるというのにね。

そう思いながらも、きっと、今日も私は動画を早送りして観ちゃうんだろうなぁ。











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