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「小説」セントラルパークランナーズ(55歳・女性)

私の羽は折れてしまったのかしら。
5年程前までは、それこそ、”飛ぶように走る”と言われていたのに。

50歳を超えた途端、急に自分の身体が自分の身体じゃなくなったように感じ始めた。世間一般な言い方では、”更年期障害”というものなのだろう。ホットフラッシュ、倦怠感は日常的にあり、それはそれで辛いが、ランナーとして、一番キツいのは、走っている間の体温調節がうまくできなくなったことだ。
大して暑くもない気温のレースでも、1マイルを過ぎた頃には、体温が一気に上昇し、息が上がる。寒い時は手足に熱が回らず、ギクシャクとした動きになる。
それでも、まだ最初の頃は走れていた。だが、おかしなもので、更年期障害の症状が2年ほどで治ったら、今度はどんなに頑張っても、全く、以前のスピードが出せなくなってしまったのだ。
レースに出る度、自分より遅かった知り合いのランナー達に次々に抜かれる。悔しいというより、悲しい。
タイムにそれほどこだわりを持っていたわけじゃないと思っていたけど、でも、私はきっとスピードを愛していたのだろう。その愛するスピードから見捨てられた自分が悲しくて、悲しくて、仕方がない。

「もう、走るのはやめたわ。だって、速く走れないと面白くないんですもん。」
30代、40代と競い合っていたライバル達の多くが、そう言って、セントラルパークから去っていった。私はいつまでこの場所にいるつもりなのだろう。そんなことを考える日が訪れるなど、数年前は全く想像しなかった。

私は走るのが好きだったのではなかったの?走れたらそれで幸せじゃなかったの?そんなにみんなに抜かれるのが恥ずかしい?惨め?

もちろん、そんな気持ちが全く湧かないわけじゃない。でも、それ以上に自分が納得する走りができないのが悔しく、辛い。無様な走りのレースが重なると、心が折れてくる。

それでも、やはり、私は時間があるとセントラルパークに走りにきてしまう。今日は一年の一番日の長い日。5時過ぎに会社を出て、アパートに6時前に戻ってもまだ空が青く、”これは走りに行かなきゃ。”とほとんど反射神経的に出てきてしまった。
それなのに、走り始めると、自分の脚のどん臭さに、うんざりし、3マイルも走らないうちに、帰りたくなった。

「ナナさん?」
背後から聞き覚えのある声に名前を呼ばれ、立ち止まる。
「あ、止まらなくていいですよ。走りながらで。」
日本人ラン仲間の間では、”セントラルパークの主”と呼ばれている一馬さんだ。
「私、ゆっくり走っていますから、ナナさん、テンポが合わなければ、どうぞ先に行って下さいね。練習してらっしゃるんでしょうし。」

一馬さんは、今年古希を迎えると言っていたから、70歳か。つまり、私が走り始めた30歳の頃は45歳という計算になる。今の私より10歳も若かったのね。でも、一馬さん、あの頃と、全然とまでは言わないけど、でも、ほぼ変わらない。60歳ぐらいにしか見えないわ。

「いえいえ、私も最近、前みたいに走れなくなって、練習する以前の問題なんです。やっぱり、歳なんですね。」                          なるべく、重く聞こえないように、おちゃれけた調子で言う。一馬さんは、前を見ながら、穏やかな声で応える。

「へー、ナナさんでもそんなことあるんですか。いつ見ても、気持ち良さそうに、かっこよく走っていらっしゃるから。」

そんな泣きたくなる様なこと言わないで。それはもう昔の私。もう2度と戻れない過去の私。

「いや、もう全然ダメ。更年期障害が終わったと思ったら、全く、別の身体になっちゃった。全然、スピード出せないの。あーあ、今年のNYCマラソン、出るの止めようかな。」
25年来の先輩ラン友を前にし、心にもない様な、ある様なボヤキが出た。

「ナナさん、ナナさんはまだまだ大丈夫ですよ。元々、走る才能に恵まれているんですから、多少、遅くなっても、十分、速いです。私なんて、さすがにもう現役引退です。」

あれ?”現役引退”って、一馬さん、もう10年前から言っているような。

「一馬さん、現役引退宣言してからもう10年ぐらい経ってますけど。でも、未だ、レース出ていますよね。ふふふ、狼おじさんってお呼びしますよ〜。」

一馬さんとおしゃべりしながらジョグをしていると、少しづつ気持ちが晴れてきた。東90丁目のエンジンゲートと呼ばれる貯水池への入り口を通り抜ける時、西側の空が真っ赤に燃えているのが見えた。間も無く沈む太陽が最後にもう一度、魂を燃やし尽くしているかのようだ。

「いつもこれが最後って思って一生懸命走るのも良いかもしれませんね。」

一馬さんがポツリと言った。

ああ、一馬さんも私のこの時期を経て、今があるんだな、と感じた。

今日の私、今年の私が一番若い。これからの私の中で。

やはり、今年もNYCマラソンに出よう。

東102丁目から、一馬さんは西に折れ、私は北のハーレム坂を目指した。セントラルパークの一番短い4マイルループで止めようと思っていた気持ちが消え、6マイルループ最大の坂を超えたくなった。ハーレム坂が始まる前に、一旦、大きく下る。下らせられてから、急勾配の坂が始まる。それも、ここで登り切ったと思ったら、目の前にまた坂が現れる九十九折。心が折れる要素たっぷりだ。

登り始めてすぐに息が上がる。ハァハァと自分の息が耳障りだと感じる。でも、私の身体が、心臓が一生懸命頑張っているからだ、と思い直すと、気持ちが変わる。頑張れ、私の身体。自分で自分の身体を応援する。一緒に越えるんだ。

ようやく、最後の坂の頂上が見えてきた。あと少し、あと少し、止まるな私。

やったーっ!

登り切ったところで両手を広げた。西日が私を照らす。

その中を駆けた。駆け下りた。ぐんぐん、ぐんぐん、下り坂の力を借りて加速した。脚が気持ちよく回転する。

私の羽はまだ死んでいない。前よりは高く飛べないかもしれない。でも、風を感じる。風に乗る。

これからもずっと。







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