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ランナーの話:「赤兎馬」後編

自然災害という誰も責められない障害に、張り詰めた糸が切れた。リズムを狂わせられた。それでも、何とか立て直そうとした。

翌年2013年4月の還暦ボストンは、3時間2分36秒。年代別3位。

輝かしい記録である。だが、赤兎馬さんの失意が想像出来た。

「自分の中で、サブスリーを取れる練習法というかメソッドがあったんですよ。これさえこなしたらサブスリーが取れたんです。今までは。」

”今までは”、それで出来ていたことが出来なくなった。じゃぁ、もっと、今まで以上に練習しなければ、出来ないということか?

2013年のNYCマラソンは、故障で出走を断念。

厳しい練習をしなければサブスリーは取れない。だが、過酷過ぎると怪我をする。その葛藤に苦しむ時期となった。それでも赤兎馬さんは走り続けた。毎週開催されるNYRRのレースでも、怪我や故障で、思う結果が残せなくなっていった。2016年のNYCマラソンは、4時間42分。初マラソン以来のワースト記録。最初の一歩から最後の一歩まで痛みとの戦いの上でのゴールだった。

2017年、ランナー仲間のNYCマラソン打ち上げでの会話も、自分の話はせず、聞き手にまわり、自分の走りの話をしたくて堪らない、今が旬のランナー達に、「いや〜、本当にすごいですね〜。これからもっともっと伸びますよ。」「どんな練習されてるんですか?はぁ、それは素晴らしいですねぇ。」なんて絶妙な返しをしていた。

そんな会話を横で聞いていた、私、黒リスは、”なんだかなぁ”、と思った。だから、そっと、赤兎馬さんの耳元で呟いた。

「本当は、今に見てろって思ってますよね。」と。

瞬間、赤兎馬さんは、ギョッとした顔で私を見た。

そして、一拍置いて、真剣な面持ちで答えた。

「ハイ、思っています。」と。

2018年、赤兎馬さんは、NYRR出走レースで、18レース中13レースで年代別優勝を獲得。その年のRunner of the year,最優秀ランナーに再び返り咲いた。

それは、赤兎馬さんのランニング人生の一つの区切りになったのかもしれない。

2019年、会社を背負う運命となった。2020年、新型コロナ禍の中、獅子奮迅の働きを求められた。

「自分と同年代人たちは、みんな、リタイヤして悠々自適に暮らしているのに、私はまだ、第一線で働かなきゃいけないんですよ〜。本当、身体、キツいですよ〜。」

2020年の夏、セントラルパークで、久しぶりに遭遇し、チャットランをした。

「でもね、”羨ましい”、なんて事も言われるんですよ。そんな風に現役で働けるなんて。」

そんな赤兎馬さんは、今年2021年、人生35回目のNYCマラソンを走る。

赤兎馬は戦う馬。生涯、仕事もマラソンも現役ランナーだ。

(おわり)






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