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競争が好きな人、競争の意味が分からない人

昔から駆けっこが苦手だった。いや、厳密に言えば、”徒競走”が苦手だったと言った方が正しい。なぜなら、自分が走りたい瞬間に走るのが嫌いな子供なんて存在しないだろうから。

つまり、徒競走と言う他人と競うレースというものがどうも苦手だったのだ。というか、”他人と競う意味が分からない”のだ。そこで、勝ったとか、負けたとか、何の意味があるのかさっぱり理解できない子供だったのだ。

1位でゴールすると、”スゴイね〜!”と周りが褒め、ビリだと残念というか、”劣っている”みたいな感じに思われ、ビリ2だと、”あー、良かった、ビリじゃなくって。”とよく訳の分からない安堵感を覚え、幼稚園の頃にこんな価値観を覚えて何になるんだろう?と、今でも思う。

でも、元々、駆けっこが得意な子にとっては、華々しい活躍の場なんだろう。そして、子供の頃から、生存競争に勝つことを覚える場でもあるのかもしれない。

カバー写真は、幼稚園の徒競走のスタート写真。私は写真の一番左側。当時、日本舞踊を習っていた影響か、重心を後ろにどっしりとおき、全く、前に出る気込みがなく、全くレースへの熱意の感じられないスタートポーズである。それに引き換え、他の子達はやる気満々である。特に、右から二番目の子の歯を食いしばった顔つきからは、既に幼稚園児ながら相当の闘争心が感じられる。

この徒競走の結果は、スタートシーンから想像出来る通り、私はビリかビリ2だったと思う。

ちなみに、団体競技も苦手だ。自分が足を引っ張るのも、誰に足を引っ張られるのも何とも居心地が悪い。”One for all, All for one”って、素敵だと思うけど、自分がそこの登場人物になるのは遠慮したい。

テニスや卓球など、対面競技も苦手だ。相手の、”お前のことをやっつけてやるぜ。”的な闘争心むき出しを見せられると、”そんなに勝ちたいなら、どうぞ。”という気持ちがムクムク湧いてきてしまう。また、相手が取れないであろう場所にボールを返したり、フェイントかけて、バシッとボールを叩きつけてやったりして、歓喜する気持ちも湧かない。つまり、勝負する前から負けているタイプといえば、そうなる。

そんな私にとって、一番、向いていたスポーツは水泳だった。

スタートからゴールまで、ひたすらに自分との戦い。結果、何位だったとかはあったとしても、まぁ、それはグリコのおまけぐらいの価値で、自分がいい泳ぎができた結果がこうだったというもの過ぎない。

こんな私が大人になって出会ったスポーツが長距離ランニング。駆けっこが苦手だった自分がよもやこんなにハマるとは想像できなかったが、考えてみれば、長距離走って、水泳と似ているんだよね。すぐ横にいる人を意識して競ったところで意味がない。

ただ自分に負けずに、一生懸命走る。その先にゴールがある。

それに集中している時間が好きだ。

一方、競争が好きな人は、こんな私と全然違う価値観の中、スポーツを楽しんでいるんだろう。相手(他人)と絡むことで、より自分を成長させたり、自分の能力の限界に近づけたり出来るんだろうなぁ。

どっちが良いも正しいもなく、ただ、色んな価値観があるってことさ。




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