第2章 4 句読点の打ち方

第2章

4 句読点――「2つの原則」プラスαを考えればいい

■本多読本の力業──読点の打ち方には2つの原則しかない
「句読点の話」とは書いたが、マル(句点=「。」)の使い方はさほど問題がない。細かな部分では多少意見が分かれることがあっても、大した違いではない。
 問題はテン(読点=「、」)の使い方で、論理的な説明をするのはきわめてむずかしい。その難題にまっこうから挑んでいるのが本多勝一『日本語の作文技術』(朝日新聞社・1976/朝日文庫=改訂版・1982)だ(以下、「本多読本」と略す)。〈句読点のうちかた〉に1章(約50ページ)を費やし、〈「わかりやすい文章のために必要なテンの原則」(構文上の原則)〉をたった2つに絞りこんでしまう。

【引用部】
 第一原則 長い修飾語が二つ以上あるとき、その境界にテンをうつ。(重文の境界も同じ原則による。)
 第二原則 原則的語順が逆順の場合にテンをうつ。
 右の大原則のほかに、筆者の考えをテンにたくす場合として、思想の最小単位を示す自由なテンがある。これによって文章にさまざまな個性が生ずるが、それは「いいかげんなテン」ということとは正反対の極にある。(p.104)

 どっちがどっちなのかわからなくなりそうなので、ここから先は〈第一原則〉のテンを〈長い修飾語〉、〈第二原則〉のテンを〈逆順〉と呼ぶ。
 本多読本は2つの原則を解説するため、次のような例文をあげている。

【〈長い修飾語〉用の例文】
 病名が心筋硬そくだと、自分自身そんな生活をしながらも、元気に任せて過労を重ねたのではないかと思う。(p.85)
【〈逆順〉用の例文1】
 Aが、私がふるえるほど大嫌いなBを私の親友のCに紹介した。(p.87)

〈重文の境界も同じ原則による〉理由は、説明すると長くなるので省略する。とくに説明しなくても、〈重文の境界〉にテンを打つのはもっとも基本的なルールなので、たいていの人は実践しているはずだ。そのテンもよく考えると〈長い修飾語〉のテンの一種と解釈できる、ってことだけ知っていればいい。
【〈逆順〉用の例文1】については少し補足しておく。この原則の前提になっているのは、〈長い修飾語は前に、短い修飾語は後に〉するってルールだ。次の例文のようにルールに従っていれば、テンはなくてもいい。

【〈逆順〉用の例文2】
 私がふるえるほど大嫌いなBを私の親友のCにAが紹介した。(p.87)

「Aが」を強調するために語順のルールをあえてくずす場合にはテンが必要、ってことになる。
 恐ろしいことに、ほとんどのテンの使い方は2つの原則で説明できてしまう(多少強引に感じられるとこもあるけど)。例外になるのは、「〈長い修飾語〉のテン、〈逆順〉のテン、思想のテン」のように単語などを列記するときに使うテン(以後は「列記のテン」と呼ぶ)だ。本多読本は「列記のテン」はナカテン(「・」)にするべきとしていて、それはそれで一理ある。しかし、テンとナカテンの使い分けがまぎらわしい場合もあるし、「列記のテン」を使うほうが一般的だろう。

■一般的な読点のルール──書き手の趣味ってことかね
 本多読本以外の文章読本では、テンの問題をどのように扱っているのか。いろんな書き方をしているが、内容や例文の適確さを考えて『説得できる文章・表現200の鉄則』(日経BP社出版局監修)のp.49~50の例を紹介する。原典が2色刷りだった関係もあり、体裁はかなりかえている。

【引用・抜粋部】
●読点の打ち方1) 誤解を避けるために打つ
1)-1 修飾語と被修飾語の関係をはっきりさせる
【原 文】きれいな赤い服を着た少女
【修正文】きれいな、赤い服を着た少女
【注】読点を打つことによって、「きれいな」が「赤い服」に係るのではなく、「少女」に係ることが分かる。

1)-2 修飾語と述部の係り受けをはっきりさせる
【原 文】今朝早く完成が待たれていた船の進水式があった。
【修正文】今朝早く、完成が待たれていた船の進水式があった。
【注】読点を打つことで、「今朝早く」が「進水式があった」に係ることが分かる。

1)-3 対等な関係にある2つの語句を等しく修飾する
【原 文】都市通勤者が多く住むA地区とB地区では長時間保育が課題となっている。
【修正文】都市通勤者が多く住む、A地区とB地区では長時間保育が課題となっている。
【注】読点を打つことで、A地区とB地区のいずれも都市通勤者が多いことがはっきりする。

1)-4 漢字やカタカナが続くとき、名詞の区切りをはっきりさせる
【原 文】従来価値が高いと見られていたのは次の物件である。
【修正文】従来、価値が高いと見られていたのは次の物件である。
【注】「従来価値」という名詞があると誤解されないように読点を打つ。

●読点の打ち方2) 読みやすい文にするために打つ
2)-1 列挙する語句の間
【例】このシステムは、メールサーバー、ファイヤーウォール、DNSサーバー、WWWサーバー、FTPサーバー、プロキシサーバーを搭載している。

2)-2 主語の後(ただし、短い文には打たなくてもよい)
【例】公社債型を含めた投資信託の純資産残高は、今年6月に過去最高を記録した。

2)-3 文頭の接続詞や副詞の後(ただし、短い文には打たなくてもよい)
【例】または、~     しかも、~    主に、~      結局、~
【注】「また当社は、」のように、すぐ後に読点が続くようなときは接続詞や副詞の後の読点を省略する。

2)-4 理由、条件などの語句または節の後
【例】結論から先に言えば、人材を活用している企業ほど成長している。
   ~によって、~   ~のため、~   ~に関して、~   ~ので、~
【注】読点が続くような場合は、特に読みにくくなければ省略してもよい。

2)-5 挿入句のある場合の前後
【例】トラブルの原因は、一般化して言えば、インターネットという新しい効率的な手段を受発注に用いたにもかかわらず流通プロセスが従来型だったことにある。

2)-6 複文や重文の結合部
【例】営業スタッフは6割増え、売上計画は前年度の2倍なった。

 きわめて常識的な記述で、過不足なく見える。「これはあってもなくてもいいだろう」と思うものもあるが、テンの打ち方は書き手の趣味にかかわる部分が多いので、なんともいえない。とにもかくにも、1)-1~4と2)-1~6で、合計10の打ち方があるってことだ。このあたりを目安にしていれば、おおむね間違いない。しかし、これだって本多読本にかかると2つの原則に集約されてしまう。

■本多読本のさらなる力業──やっぱり2つの原則しかない
 本多読本は、自説を述べたあとにその正しさを立証するために、多くの例をあげている。なんせ約50ページもあるから、アレコレといろんな例が出てくる。
 圧巻なのは、〈文部省教科書局調査課国語調査室が一九四六年に基準案として示したテンの使い方〉を〈検証〉している部分。13項目42の例を、「これは〈長い修飾語〉」「これは〈逆順〉」「これは思想のテン」と片づけていく。その結果、ひとつの例外もなく〈わずか二つの原則によって律することができる〉と論証してしまう。
 どんな具合に〈検証〉しているのか、『説得できる文章・表現200の鉄則』の例に当てはめてみよう。ウマくマネができる自信はないけど、がんばってみる。〈 〉がついている部分は、同じような例を検証するときに本多読本が使っている表現だ。

1)-1 修飾語と被修飾語の関係をはっきりさせる
【修正文】きれいな、赤い服を着た少女
「きれいな」が「少女」にかかるのなら、テンを打つより「赤い服を着たきれいな少女」にするほうが自然。あえて「きれいな」を前にしたいのなら、〈逆順〉の典型。

1)-2 修飾語と述部の係り受けをはっきりさせる
【修正文】今朝早く、完成が待たれていた船の進水式があった。
 1)-1と同様に、「今朝早く」を「あった」の直前に移動すればテンは不要。冒頭に置くと〈逆順〉の典型。ただし、「今朝早く」「昨日」「昨年」のように時を示す言葉は、冒頭にあるほうが自然なことが多い。

1)-3 対等な関係にある2つの語句を等しく修飾する
【修正文】都市通勤者が多く住む、A地区とB地区では長時間保育が課題となっている。
 なくてもいいので原則ではない。あってもいいが文自体がやや不自然なので、書きかえることを考えるほうがいい。一例をあげておく。
【修正案】A地区とB地区には都市通勤者が多く住み、長時間保育が課題となっている。

1)-4 漢字やカタカナが続くとき、名詞の区切りをはっきりさせる
【修正文】従来、価値が高いと見られていたのは次の物件である。
 なくてもいいので原則ではない。〈構文上ではなく、変な付着を防ぐためのテンは、なるべく避ける方がよい〉。〈しかし筆者の主観としてであれば「思想のテン」として御自由に〉。ただし、このテンの場合は削除しないほうがいい。〈名詞の区切りをはっきりさせる〉なんて曖昧な理由のためではなく、〈逆順〉になっているから。「従来」を「見られていた」の直前に移動して〈逆順〉を解消してやれば、テンは不要になる。

2)-1 列挙する語句の間
【例】このシステムは、メールサーバー、ファイヤーウォール、DNSサーバー、WWWサーバー、FTPサーバー、プロキシサーバーを搭載している。
 本多読本は〈ナカテンの方がよい〉と主張しているが、「メール・サーバー」みたいに列記する単語のほうにナカテンが入るときはどうするんだろう。やはり「列記のテン」を使うほうが無難なのでは。ちなみに、こういうふうにズラズラ並ぶときは、必然的に主語と述語が離れてしまう。それを防ぐために、箇条書きにするテもある。
【修正案】このシステムは以下のものを搭載している。
      メールサーバー/ファイヤーウォール/DNSサーバー/
      WWWサーバー/FTPサーバー/プロキシサーバー

2)-2 主語の後(ただし、短い文には打たなくてもよい)
【例】公社債型を含めた投資信託の純資産残高は、今年6月に過去最高を記録した。
〈不必要だが、これも主観によって「思想のテン」をうちたい筆者であれば「自由のテン」としてどうぞ〉。

2)-3 文頭の接続詞や副詞の後(ただし、短い文には打たなくてもよい)
【例】または、~     しかも、~    主に、~      結局、~
 なくてもいいので原則ではない。ただし、〈逆順〉の場合は必要。

2)-4 理由、条件などの語句または節の後
【例】結論から先に言えば、人材を活用している企業ほど成長している。
   ~によって、~   ~のため、~   ~に関して、~   ~ので、~
〈全く無意味〉。〈長い修飾語〉〈逆順〉の2つの原則に当てはまるときに限って打てばいいだけ。

2)-5 挿入句のある場合の前後
【例】トラブルの原因は、一般化して言えば、インターネットという新しい効率的な手段を受発注に用いたにもかかわらず流通プロセスが従来型だったことにある。
 一般に、挿入句の問題は〈逆順〉の典型。ただしこの場合は、正しい語順にするには「一般化して言えば」をどこに移動すればいいのかわかりにくい。あえてやるならこんな感じだろうか。
【修正案】インターネットという新しい効率的な手段を受発注に用いたにもかかわらず流通プロセスが従来型だったことがトラブルの原因と一般化して言える。

2)-6 複文や重文の結合部
【例】営業スタッフは6割増え、売上計画は前年度の2倍になった。
 この【例】は重文の典型なので、〈長い修飾語〉の原則に〈吸収される〉。「複文の結合部」がどういう場合を指しているのかは不明だが、2つの原則に当てはまるときに限って打てばいいだけ。

 いやぁ、こういう書き方をしていると、自分が賢くなったみたいに錯覚してしまう。テンの打ち方の2つ原則も、完璧に理解できている気がしてくる。大きな勘違いだ。ある程度は理解できていると思うが、どうもスッキリしない点も残っている。テンの打ち方ひとつをとっても、文章道は奥が深い。


■個人的な「意見」を少々1──2つの原則だけじゃ読みにくい文になる
 文部省案13項目42の例を1つずつ〈検証〉したあと、本多読本は次のように書く。

【引用部】
 以上の検証によって、二大原則さえあれば文部省案の一三項もの基準は不要であることが理解された。すなわち構文上必要なテンはわずか二つの原則によって律することができる。むろんこれは狭義の文法的な「規範」や「規則」ではない。あくまで「わかりやすい(論理的な)文章」のための構文上の原則である。(p.112)

 論理的に間違っていないが、小さな欠点がある(「重大な欠点」かもしれない)。論理的に必要のないテンを使わないと、テンの数はどんどん減っていく。語順などを工夫すれば、さらに減る。それでも論理的に正しいからわかりにくくはならないが、読みにくくなる。そのことは、この引用部を見ればわかる。4つの文の中に、テンが1つしかない。1つだけあるテンは〈逆順〉に従ったもので、次のように書きかえれば、このテンさえ必要なくなる。

【テンを削除した例】
 二大原則さえあれば文部省案の一三項もの基準は不要であることが以上の検証によって理解された。

 こうなると相当読みにくい。「思想のテン」は個人的な趣味の問題になるのを承知で書くと、このぐらいの長さの一文にはテンがあったほうが読みやすい。元の文章に戻り、少し「思想のテン」を加えてみよう。それだけで、多少読みやすくなる。

【「思想のテン」を加えた例】
 以上の検証によって、二大原則さえあれば文部省案の一三項もの基準は不要であることが理解された。すなわち構文上必要なテンは、わずか二つの原則によって律することができる。むろん、これは狭義の文法的な「規範」や「規則」ではない。あくまで「わかりやすい(論理的な)文章」のための構文上の原則である。

 なんのことはない。「主語のあとに打つ」「文頭の接続詞や副詞のあとに打つ」って話に戻っている。
 だからといって、2つの原則が無意味ってことではない。最優先されるのは2つの原則で、それだけでは不足なら〈思想のテン〉を打つってことだ。その場合には、一般的なテンの打ち方に従えばいい。ふだんはあまり意識しなくてもいいが、微妙な判断をするためには非常に有効だ。


■個人的な「意見」を少々2──一文の長さを無視してテンの話はできない
 ここで、『説得できる文章・表現200の鉄則』の話に戻る。2)-2と2)-3を見ると、主語のあとと文頭の接続詞や副詞のあとのテンについて、〈ただし、短い文には打たなくてもよい〉と書いてある。当たり前のことなんだが、これは重要なポイント。この断わり書きがあるのとないのとでは、心得としてのありがたみが違う。
 ちょっとやっかいな話で重文や複文のことなんかもからんでくるので、「第2章3」であげたバカバカしい例を見ながら、クド~く書いていく。文頭の接続詞や副詞の話もほぼ同様なんで、主語の話に限ることにする。

【単文の場合】
 小林がクリームパンを食べた。

 単文の場合、主語のあとに〈思想のテン〉を打つか打たないかは趣味の問題。このように短い文なら、打たないほうが自然だろう。「主語のあとにテンを打つ」って心得はたしかに無意味になる。打っても打たなくても、書き手の自由だ。しかし、重文の場合は話が別になる。

【重文の例】(主語のあとにテンなし)
 小林がクリームパンを食べ、中村がカレーパンを食べ、鈴木がジャムパンを食べた。
【重文の例】(主語のあとにテンあり)
 小林が、クリームパンを食べ、中村が、カレーパンを食べ、鈴木が、ジャムパンを食べた。

 見比べてみればわかる。文章を読みやすくするはずの〈思想のテン〉が、文章をわかりにくくしている。これが複文になると、もっとハッキリする。

【やや複雑な構造の複文の例】(主語のあとにテンなし)
 佐藤は、小林がクリームパンを食べ、中村がカレーパンを食べ、鈴木がジャムパンを食べるのを見ていた。

 ちょっと補足しておくと、「佐藤は、」のテンは〈逆順〉のテン。主語のあとに打つ〈思想のテン〉ではない。「第2章3」でも見たように、語順のルールに従って「佐藤は」を「見ていた」の直前に移動すれば不要になる。

【やや複雑な構造の複文の例】(主語のあとにテンあり)
 佐藤は、小林が、クリームパンを食べ、中村が、カレーパンを食べ、鈴木が、ジャムパンを食べるのを見ていた。

 この場合は、主語のあとの〈思想のテン〉は打たないほうがいい。本多読本の言葉を借りるなら、〈構文上高次元のテン(文のテン)を生かすためには低次元のテン(句のテン)は除く〉(p.117)ほうがいい、ってことだ。
 そんなことはいわれなくたって、こんなバカなテンの打ち方はしない、という人もいるだろう。じゃあこんなのはどうだ。

【引用部】
近くを、ひと回りして、ひき返してくると、今度はその女一人、店の入口の、門柱の前に、ぽつんと立っていた。(本多読本p.91)

 ほかの文章読本に紹介されていた〈ある小説家の文章〉とのこと。主語のあとに限らず、ムヤミにテンを打っているので相当ヘンになっている。この例はあまりにも極端だが、わけのわからないテンの使い方をしている文章はけっこう多い。
 ただし、小説家の文章は芸術文である可能性が高い。なんらかの芸術的な狙いがあって、「あえてヘンな文章にした」と主張されるとそれっきりになる。どんなに妙な文章でも、ウカツなことは書けない(実際には、ただ単にヘンなことも多いけど)。
 テンの打ち方は、一文の長さと密接にかかわっている。ここまで見てきた「主語のあとのテン」についてまとめてみよう。

・一文が短い場合      →打たなくてもいいことが多い
・一文が長くも短くもない場合→打つほうが読みやすいことが多い
・一文が長い場合      →ムヤミに打つとわかりにくくなる

 こういうことになる。ほとんどの文章読本は、一文の長さに関係なくテンの打ち方を解説している。「主語のあとにテンを打つ」とか「テンを多めに打つ」とか断定している文章読本は多いが、信用する必要はない。ここでは「主語のあとのテン」に限って見てきた。文頭の接続詞や副詞に限らず、ほかの〈思想のテン〉に関しても、ほぼ同じことが当てはまる。


■個人的な「意見」を少々3──テンの数で一文の長さを判断する
 ここからは、完全に個人的な「意見」です(いままでのとこは、まだ多少は一般性があると思っているらしい)。
 実用文に限っての話だが、人様が書いた文章をイジクり回すことがある。というより、自分で書いた文章よりはるかに多い量の文章を、イジクり回してきた。出版の業界用語で「原稿整理」と呼ばれるものだ。どの程度まで徹底するのかは、書き手のレベルや出版社の意向など、さまざまな条件によってかわってくる。どんなことをするのかいちいちあげていくとキリがないぐらい、けっこう細かいとこまでネチネチとかえていく。
 なかでも不毛なのは「表記の統一」って作業だ。ごくごく簡単にいうと、「普通」と書くか「ふつう」と書くかを統一していく(「フツー」って表記にすることもあるが、やや特殊)。どっちでもいいんだから、ほとんど趣味の世界に近い。
 そういう細かいレベルの話を別にすると、まず気にするのは一文の長さ。長めのものは警戒し、100字を超えるものは修正することを考える。当然のことながら、100字って数字に論理的な根拠は何もない(開き直ってどうする)。
 ただ、100字を超える一文がたいていわかりにくいことは、経験的にわかっている。上級者が書いたものだと、100字を超えていてもスラスラ読めることもなくはない。それでも読者に余計な負担をかけることが多いから、とにかく100字を超えるのはペケ。
 まあ、実際には100字を超えることはめったにない。100字未満だけど長め、って一文が問題になることが多い。そんなときにいちばんの判断基準にしているのが、一文の中にあるテンの数なのだ。文章読本の心得風に書いてみようか。

 一文中のテンは、多くても3つまでにすることを心がける。

 あーあ、具体的に数字の目安を出してしまった。大丈夫なんだろうか。個人的な目安なんだから許してほしい。できれば2つまでにしたいとこなのに、余裕をもたせて3つにしているんだから。
 どんな種類の文章であっても、とりあえずこれを目安にしている。ただし、「列記のテン」は別。フツーのテンとはちょっと役割が違う。料理の素材名を並べるときなんかは、どうしたって「列記のテン」がたくさん出てくる。
「列記のテン」は除外するとして、それ以外のテンが4つ以上必要な一文は、長すぎってこと。分割することを考えたほうがいい。さほど長くないのにテンが4つ以上ある一文は、余計な〈思想のテン〉が入っているのでわかりにくい可能性が高い。テンを減らすことを考えるべきだ。
 文章読本のなかには、「一文が長いときにはテンを多めに打つ」なんて書いているものもある。どのぐらいの「長さ」でどのぐらいの「多さ」なのかは、具体的に書いてあるのを見たことがないからわからないけど。いずれにしても、これは明らかにヘンで、そんなことをしたらわかりにくくなるに決まっている。ムヤミにテンを打つより、文を分割することを考えるほうが無難だ。
 一般に、一文が短い場合は〈思想のテン〉の打ち方にさほど神経質にならなくてもいい。しかし、一文が長い場合は重文や複文になっているので、〈思想のテン〉は極力減らしたほうがいい。
 ホントにそんなことがいえるのか、実例をあげて見てみよう。芸術文を相手にすると話がややこしくなるから、文章読本に出てくる文章を実例にする。念には念を入れてお断わりするが、テンの打ち方は個人の趣味の問題になることが多い。以下の記述は、すべての文の後ろに「と思ったりしちゃったりする」がついていると考えてほしい。

【引用部】
 欧米系のことばが、輸入されることがあっても、中国の漢字が、わが国に盛んなる輸出を行うことは、今後、まず期待できない。漢字はすでに、その盛んなる青壮年時代をすぎ、老年時代をむかえたといえるだろう。(安本美典『説得の文章術』p.139)

 テンの話をしようとしているのだから、内容に関してコメントする気はない。異論を唱える国語学者もいる気がするが。〈盛んなる〉(こんなに短い文章の中に2回も出てくる)や〈輸出を行う〉は表現が堅苦しい、なんてのは趣味の問題になるから放っておく。同じ文の中で並立させながら、わざわざ「輸入される」(受動態)、「輸出を行う」(能動態)と使い分ける神経がわからない。一方が「輸入される」なら、もう一方も「輸出される」のほうが素直だろう……なんてのもインネンになりそうだから無視する。「中国の漢字さん」が何を「輸出」するんだろう、なんて書きはじめると完全にインネンになる。
 問題は、1つ目の文で使われている5つのテンだ。これを2つの原則で考えるとどうなるのかは、正直いってわからない。2つ目のテンだけは〈長い修飾語〉のテンなので必要なのかもしれない。極端なことを書くと、全部なくても構わない気もする。とくにヘンなのは1つ目と3つ目のテンだ。この文では、「欧米系のことばが輸入されること」と「中国の漢字がわが国に盛んなる輸出を行うこと」の2つを対比している。余計なテンがあるので、この対比がわかりにくくなっている。むずかしく考えずに、重要度が低そうなテンを削除してしまう。

【修正案1】
 欧米系のことばが輸入されることがあっても、中国の漢字がわが国に盛んなる輸出を行うことは、今後まず期待できない。
 個人的な趣味では、「今後」は文頭にあるほうがシックリ来る。その場合、「今後、」とテンが必要になるのは〈逆順〉の原則どおり。すると次のようになる。

【修正案2】
 今後、欧米系のことばが輸入されることがあっても、中国の漢字がわが国に盛んなる輸出を行うことは、まず期待できない。
 このままでもいいが、テンが3つになるのが多いと感じるなら、最後のテンを削除する。最後のテンを削除するか残すかは、完全に趣味の問題だ。

【引用部】
 古来、レトリックは、目的を達するために、言葉をどのように配列・構成するかを考えてきた。文章の型というと、すぐ頭に浮かぶのは「起承転結」だが、文章心理学者波多野完治氏は、『現代レトリック』(大日本図書、昭和四十八年)で、日本の「起承転結」とヨーロッパのレトリックを比較して、次のように述べている。(樺島忠夫『文章構成法』p.117)
 1つ目の文も短い割りにテンが目立つが、3つなので無視する。「考えてきた」の主語はなんだろう、って話も無視しておこう。
 問題は2つ目の文で、テンが5つもある(〈大日本図書、〉のテンは「列記のテン」なので、無視して考える)。必要なのは、2つ目の〈長い修飾語〉(重文)のテンだけで、あとはなくてもいい。「で、」「て、」のように同じような音とテンの組み合わせが同じ文の中にあるのも、できれば避けたい。一文が長めなので、テンを3つにしよう。次のようになる。
【修正案1】
 文章の型というとすぐ頭に浮かぶのは「起承転結」だが、文章心理学者波多野完治氏は、『現代レトリック』(大日本図書、昭和四十八年)で日本の「起承転結」とヨーロッパのレトリックを比較して、次のように述べている。
 アララ。よく見ると100字を超えている。(大日本図書、昭和四十八年)みたいに論旨とは関係のない部分があるからしょうがないのかもしれないが、やはり避けたほうがいい。もし分割することを考えるなら、狙い目はハッキリしている。「が、」の部分だ。通常なら「。しかし」に置きかえるとこだが、この場合は「しかし」は必要ない(この「が、」は「順接のガ、」だからなのだが、説明するのはけっこう難問なのであとに回す)。単純に分割しても何も問題はない。
【修正案2】
 文章の型というとすぐ頭に浮かぶのは「起承転結」だ。文章心理学者波多野完治氏は、『現代レトリック』(大日本図書、昭和四十八年)で日本の「起承転結」とヨーロッパのレトリックを比較して、次のように述べている。
 こうなると、もう少しテンを打ってもいいかな、って気になる。本多読本ではないが、〈筆者の主観としてであれば「思想のテン」として御自由に〉ってことになる。
 こんなことをやっているとキリがないので、最後にかなり強力なのを紹介してテンの話は終わりにする。

【引用部】
 その最初に、もう一度、最初に感じる文章の口語文を発明した人たち、自分の感じたままを書くという場から出発した、自然主義の文壇文学者たち自身が、自分たちの発明した、「一元描写」という方法による文体、つまり主観的な意見の表出を排して純粋に客観的な描写だけから構成した文体を、それぞれの長い生涯のなかで、どのように成長させて行ったかを見直してみようと思います。(中村真一郎『文章読本』p.109)

 一文が200字近い。ここまで来ると、文章を分割することを考えなければならない。ここではテンの問題に限っているので、分割せずにやってみる。
 冒頭の2つのテンは〈逆順〉なので、削除するためには語順の入れかえが必要になる。ただし、〈その最初に、〉は前の文を受けているので後ろには移動しにくい。あと問題なのは、3つ目のテンのように同格を示すテン(「=」に置きかえられるようなテン)があること。あまり望ましい方法ではないが、同格の部分をカッコに入れてしまう。とりあえず次のようになる。

【修正案1】
 その最初に、最初に感じる文章の口語文を発明した人たち(自分の感じたままを書くという場から出発した、自然主義の文壇文学者たち自身)が、自分たちの発明した、「一元描写」という方法による文体(つまり主観的な意見の表出を排して純粋に客観的な描写だけから構成した文体)を、それぞれの長い生涯のなかで、どのように成長させて行ったかをもう一度見直してみようと思います。

 残っているテンのうち、〈出発した、〉と〈発明した、〉に使われているテンは、本多読本が目のカタキにしている〈あってはならぬテン〉だ。直結するはずの修飾語と被修飾語を、わざわざ分断してしまっている。たいていの場合は、無条件で削除したほうがいい。短い文だと大丈夫なこともあるが、長い文だと危険度が高い。短い文だと大丈夫なこともあるのは、先の同格のテンの場合も同様だ。
 残りのテンのうち、重要度が低そうな〈なかで、〉のテンも削除する。

【修正案2】
 その最初に、最初に感じる文章の口語文を発明した人たち(自分の感じたままを書くという場から出発した自然主義の文壇文学者たち自身)が、自分たちの発明した「一元描写」という方法による文体(つまり主観的な意見の表出を排して純粋に客観的な描写だけから構成した文体)を、それぞれの長い生涯のなかでどのように成長させて行ったかをもう一度見直してみようと思います。

 テンを削除してどうにかできるのはここまでかな。ちっともわかりやすくないって? たしかにそう思う。結論としては、100字を超える文はどうしたってペケってことだ。反則ではあるが、通常あんまり重要じゃないとされるカッコ内の記述を削除してみる。

【修正案3】
 その最初に、最初に感じる文章の口語文を発明した人たちが、自分たちの発明した「一元描写」という方法による文体を、それぞれの長い生涯のなかでどのように成長させて行ったかをもう一度見直してみようと思います。

 なんとか100字以内におさまって、テンも3つになった。もうすこしテンを打ちたいとこもあるってことは、文を分割する必要があるってことだろう。
 一文中のテンは多くても3つまでが鉄則、なんてバカなことを主張する気はない。自分で文章を書くときには、できるだけテンを2つまでにすることを考えているぐらいだ。一文が長めのほうが好きな人は、4つまでにしてもいいかもしれない。
 あんまりテンが少ない文章は、息苦しくて読みにくい。かといってあんまりテンが多いと、どこが区切りなのかわかりにくいから、文全体もわかりにくい。3つでも4つでも構わないが、一文中のテンの数を意識すると、ソコソコの文章に近づくんじゃないかって気がするだけだ。

【追記】
【板外編2──読点と使い方の2つの原則と6つの目安】
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-145.html
 もあわせて読めば、もう読点の打ち方で悩むことはなくなります……ホントか?

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