chips S#82

どこの街だったかな、言葉の通じない知らない街だった。ひとりで歩いていたんだ。そこでふたつの事が起こったんだ。ひとつはすれ違う人のなかに大学からの友人とよく似た背格好の人がいた。少し背を曲げてひょこひょこと歩くんだよ。チェックのシャツを着てさ、ジーンズとスニーカー、頭の禿げ上がり具合もそっくりだった。その時僕はしばらくあっていない大学のその友人を思い出した。そしてその夜、宿に帰って手紙を書いたんだ。その友人は古本屋をやっていてね。その店に手紙を書いたんだ。今日、君に再会したよってね。大学の頃彼とは街をただひたすら散歩したんだよ。引っ越しなんかで捨てていった家具なんかをよく拾ったりしたもんだ。その椅子のひとつはまだうちでも使っているんだ。きっとずっと使い続けるだろうね。見知らぬ街ですれ違ったその人は僕にいったいなにを運んで来たのだろうか、その本人には全く気のつかないところで。
もうひとつはその翌日。もう一度何かに再会できるのかもとやはり散歩をしていた。わかるところではなく、出来るだけ行ったことのないところへ、何かを見るためでなく出会うため。大学の彼が心の中に一緒にいたね。知らないバスにも乗って終点まで行って知らない路地を知らないままに歩いた。川のほとりに着いた時声が聞こえたんだ。男性が女性の名前を呼ぶ声だ。振り返ると女性が男性に近づいて行くのが見えた。あぁ、名前がある。僕が知らないだけで名前がある人がいる。その人に名前があるのはその名前を付けた人がいて、積み重なる時間の中でその名前を知られて呼ばれることがある。僕の見えている範囲というものはごくわずかなのだけれどその後ろには途方もない積み重なる時間があるのだということに気がついた。それは僕自身にも言えること。僕にも名前があるから。僕は自分の立っている場所や僕の立っていること、僕自身いうのが、風景と一緒に尊く思えたんだ。あるんだ、ということを見つけた。そしてそこ以外のところに、僕はないんだということも見つけた。だけれどももっと確かなことは繋がっているということ。ひとつ言葉のひとつの名前のひとつひとつの存在から。そして僕は今、君を通して全てにふれている。

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