存在について

時間が早く流れすぎるというのは私がその流れを感じずになにがおきているかに触れていないだけ、一つの風景をじっくりと見ているそれだけでわかること、そのももの持ついくつもののベクトルの集約点が今、像としてそこに存在せしめられている。それは見るもののあることで違うものへ変容するという可能性を広げた上でただただそこにあるのだ。耐えられないほどの時間とベクトルに対峙することで見えてくるそれは存在、あることの確かさ。

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