自分が老害にならないために、世の中の老害さんへ向けて書きます。
今日の記事は、ちょっと辛辣な内容になるかもしれません。また、蔑視するような意味合いで書くわけではないですが、読む人によってはそう思えてしまうかもしれないので、ご了承の上で読んでいただければと思います。
「老害」ってどんな人?
はい、いきなりパンチのある言葉が出てきました。本日のテーマは「老害」についてです。
まず、老害というのがどのような人物のことを言うのか Google 先生に尋ねてみたところ、
だと教えてくれました。
こんなことを書くと「高齢者をバカにしている」とか「年寄りをもっと敬え」とか言われそうですが、もちろん世の中には敬われて然るべき高齢者がたくさんいることも理解しています。
誤解してほしくないのは、高齢者を一括りにして批判する意味は全くないと言うことと、ここで言う「老い」というのは年齢的なものだけを指して言っているわけではないということです。ただ「こういう人もいるよね」というニュアンスで捉えてもらえればいいかなと。
老害の条件
では、もう少し具体的に書いていこうと思います。
僕自身、これまで出会った中で「ああ、この人老害だわ…」と感じた人は数多くいます。ただ、これはあくまでも自分の中の感覚で照らし合わせた場合の感じ方なので、見る人によってはそう思わないこともあるでしょう。
そんな中で気がついた共通点、いわゆる「老害の条件」みたいなものがいくつか分かってきました。
自分のすることを常に正しいと思っている
「自分が若い頃は」とか「昔はなぁ」とか言い始める
新しいことに興味を示さない、取り組まない
自分の立場に固執する、誇示する
相手のことを暗に否定する
陰口を叩く
これらが、僕の思う老害の条件です。ひとつずつ見ていきましょう。
自分のすることを常に正しいと思っている
人間、長く生きているといろいろな経験を積み重ねることになります。その中には「成功体験」も「失敗体験」もあるでしょう。
多くの場合、老害の要因になるのは「成功体験」なのではないかと思っていて、自分が過去に成功した経験があるせいで、自分のやってきたこと/やっていることは絶対に正しいと勘違いするパターンです。
これは非常に厄介で、周りがなんと言おうと考えを曲げず、むしろ自分の考えに背く人たちを徹底的に排除しようとします。こうなってしまうと、思考は凝り固まってしまい、老害街道まっしぐらです。
「自分が若い頃は」とか「昔はなぁ」とか言い始める
これもあるあるですね。
もちろん、自分が経験したことを人に伝えることは時に大切なことです。そうすることによって、失敗を未然に防げたりして、受け取った側が幸せになれる可能性もあります。
だいぶ昔ですが、けんすうさん が「自分が大変な経験をしてきたからと言って、若手にも同じ経験をさせようとするのではなく、若手が大変な思いをしないようにしてあげる方が社会の幸福度が上がる」みたいなことを言っていて、まさにその通りだなと。
それなのに、老害と言われる人たちは、自分の苦労を若手にも押し付けようとします。たとえそれが完全に時代錯誤の考え方・やり方であったとしても。「俺もやってきたんだから、お前もやれ」って違うと思うんですよね。
新しいことに興味を示さない、取り組まない
時代は確実に流れているのに、新しいことに興味を示さなくなったり、取り組もうとしなくなったら、老害の入口に立っているのかもしれません。
できるかできないかは別として、そういったことを意識してみることは非常に大切なのではないかなと。それを怠ることで時代からはどんどん取り残されてしまいます。
そして、更に危険なのは「自分はどうせ年寄りだから」とか「やってもわからないからやりたくない」みたいになってしまうことですね。これはもう末期症状。
自分の立場に固執する、誇示する
これも多くの老害と呼ばれる人に見られることですね。人間歳を重ねると、社会的な立場も上がっていくことが多いです。
人によっては、会社の会長や社長になっているかもしれないし、今までの功績が称えられて周りから称賛される立場にいるかもしれません。
もちろん、その立場はこれまでに自分が努力を重ねてきた結果得られるものだし、誇らしく思うのは当然だと思います。ただ、それを執拗に誇示したり、縋り付いたりするようになると、どんどん価値を落としてしまいます。
近年、話題になっている企業の後継者問題。もちろん、純粋に跡を継いでくれる人がいないという企業も多くあると思いますが、一方で、現経営者が、実はその立場を捨てるのが怖くて、後継者を敢えて据えないというパターンも多くなるんですよね。
一番最悪なのは「後継者がいない。誰か後継者になってほしい」とか口では言いながら、後継者候補を排除しようとする老害経営者がいることです。結局、自分がその立場にいるのが心地いいから、捨てたくないんでしょう。
こういう人は、自分がどんどん惨めになっていることに気がついていないケースが多いので、ある意味で幸せな人なのかもしれませんが。
相手のことを否定する
これは、1つ目に書いた「自分のすることを常に正しいと思っている」にも通ずるところがあるんですが、多くの老害は自分の考えと異なるものを否定しようとします。
タチの悪いタイプになると、その場では「それ、いいね」とか言いながら、暗に否定してきます。一見すると、「理解ある人」に映りがちですが、実は全く理解していないという。
陰口を叩く
これは、もう最悪です。というか、老害に限らず人間的に。
相手のことを否定したり、排除したりするときに、面と向かって行動するタイプはだいぶタチがいいでしょう。
ただ、大抵の場合、老害と呼ばれる人たちは、"オモテヅラ" をよくしたがる傾向があるので、周りから見ると「いい人」に映ってしまうケースも多いんですよね。
そういう人に限って、裏ではめちゃくちゃ悪口言ってたりするのを、幾度となく見てきたことがあります。悪い印象を持っていたとしても、他の人にわざわざ悪口を聞かせる必要なんてないし、聞かされる方も気分はよくありません(もちろんお互いが同じ感情を抱いていれば、心地いい時間になるかもしれませんが)
人の悪口を言うという行為が、言った分だけ自分の価値を下げているということに気がついていないし、そういうものは、巡り巡って本人に漏れ聞こえるものなんですよね。その瞬間に信頼関係は見事に崩れるでしょう。
「老害」にならないために
ここまで、僕の考える老害の条件を書いてきましたが、自分が老害と呼ばれないようにするためにも何を意識するべきなのかを少し考えてみます。
新しいことを受け入れようと意識する
やはり、これが大事なのかなと。
新しいことを常に受け入れようと意識している人には、柔軟な考えの持ち主が多いと思います。新しいこと全部を受け入れる必要はなく、あくまでもそれを「常に意識している」ことが大切です。
意識した上で、自分の考えと照らし合わせて、どうするべきかを判断する時間を作ることが、凝り固まった思考回路にならない秘訣なんだろうと。新しいことを理解もしようとせずに、排除することが一番の愚行です。
「そうかぁ、今はこういう考え方もあるよね」と思えるようになればよし、さらに「じゃあ、今からこのやり方にしてみるか」と行動に移せれば尚よしですね。
マウントを取ろうとしない
自分がどんなに社会的立場が上がろうとも、決してマウントを取ったりしないことが大切です。要するに、いつも謙虚でいるということですね。
年齢が若いというだけで、自分が優位に立ってような感覚を持ったり、相手の経験や思考を軽視して、自分の経験だけを判断基準にしてはいけませんね。よくいるんですよね、こちらのことを知りもしないのに、否定的なニュアンスで話を進めようとする人。
自分が「老害」になっていないか常に振り返る
多くの人は、自分では無意識のうちに老害化していきます。なので、自分の言動が単なる押し付けになっていないか、相手が不快に感じていないか、高圧的な態度に映っていないかなどを常に振り返ることが大切だろうと。
まぁ、最悪なのは「自分はもう老害だ」「老兵は消え去るだけ」だとか言って、一見すると慎ましやかに思わせながら、言動がまるで伴わない人なんですけどね。これこそが、真の老害かもしれません。
ということで
かなり辛辣に、しかも自分のことは完全に棚に上げて書いてきましたが、不快に思われた方には申し訳ありません。
この内容は、あくまでも「僕自身が思う老害」について書いただけなので、全ての人が当てはまるわけではないですし、冒頭でも書いたように、高齢者を一括りにして批判する意味は全くなく、単純に年齢的な老いだけを指しているわけでもないということはご理解いただけると幸いです。
これを書くことで、自分が老害にならないように気をつけようと意識できればと思っています。
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