お金を払うことは価値を認めるということ

何日か前に、お仕事でお客様と会話していた時に言われた一言。

「この作業を○○円でやってもらえるなんて安いよ。だって自分ではできないからね。ありがとう」

これって、「お金を払う」ことの意味に直結した言葉だと思うんですよね。たぶん、言った張本人はそんな深い意味もなかったんでしょうけど(笑)

何かに対して「お金を払う」という行為は、「自分がそれだけの負担をしてでも得ることに価値がある」ということなので、モノやコトに対しての価値を認めることを意味します。

時々、いや結構いるのが「それぐらいタダでやってよ」という言葉を平気で放つ人。しかも、こういう人は大抵、自分にできないことを相手に無理やりタダでやらせようとするパターンが多い。これ、結構失礼な話ですよね?

自分ができるならともかく、できもしないことをやってもらうのに、相応の対価を負担すらしようとしないというのはおかしなことです。わかりやすく言えば、お店で売ってるものが欲しければ、値札に書いてあるだけの金額を払って買いますよね。それが嫌だからって、万引きする人も中にはいますが、普通の人ならそんなことはしないわけです。

ただ、ここが難しいところではあるんですが、モノとコトでは価値の捉え方が変わってくることはあります。モノはお金を払う対象が認識しやすいけど、コトは形がないことが多いのでお金を払う実感が持てないみたいな感じです。

最近は「コト消費」の世の中になってきているので、サービスなどの目に見えないことにお金を払う機会は格段に増えているんですが、それでもそういう発想を持っていない人は多い。

まぁ、そんな人は相手にしなきゃいい話なんですが、そうもいかないこともあるので、「お金を払う(=価値を認める)」基準として、こんな次の考えを持てばシンプルに判断できるようになるかもしれません。

それは、単純な話で、

自分にできるか、できないか。

これだけです。

子供のころに野球ボールを買いに行ったことがあるんですが、あれって意外と高いんですよね。当時で1個500円くらいだったかな?ホームラン打ったりして無くなることもあるし、子供の小遣いから買うには、なかなかに高い。

それをなんと無しに父親に言ったら、こう言われました。

じゃあ、500円もらったらそのボールを自分で作れるか?

たしかに、500円もらったからと言って、ボール作るのは無理です。製造する機械もなければ、ノウハウもないわけです。たぶん、自分で作れたとしても莫大な時間もかかるし、めちゃくちゃ高いボールが出来上がることでしょう(笑)

この時に、お金を払うことの意味を知った気がするんですよね。自分ができないことを実現させようとすれば、それ相応の負担が発生するわけです。それが嫌なら、それを諦めるか、工夫して別のやり方を探すしかない。

で、最初のお客様とのやり取りに通じるわけですね。このお客様は理解のあるいいお客様ということもできるでしょう。

というわけで、相手が提供してくれる価値を、やたらめったら安く見積もろうとせず、正当な価値を認めればお互いにハッピーになれるよ、というお話でした。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?