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一緒に聴く、一緒に踊る、一緒に感じる、一緒にいる、一緒にデカ箱

こんにちは。ホライズンの黒岡です。といっても、ホライズンやってたのも過去ですし、今年はほとんど音楽活動もせず、何をやってるかというと家でご飯作ったり本読んだり新たなことに挑戦している黒岡です。といったところです。まあ。来年は何かしら活動していきたいです。

さて。電車に乗って通勤している時に、何をしてますか?電車内を見てみると、スマホに齧りついて、若者たちの姿。そこに明日はそこにあるのだろうか?なんて思ったり、ただの暇つぶしか?ゲームか?とか。かくいう私も現在、携帯を握りしめて記事を読んでいたり、この文章を書いてたりします。

文章っていっても、ほとんどがボツになって、どこにも発表されなく朽ちていくのが殆どですし、ま。頭を整理するのにはいいなと思ってます。あとは、誰かの書いた記事やニュース、noteも読んでます。SNSのTwitterはやってまして、ホノボノしてる動物の姿とかユーモアのあるツイートにホホホと笑って誰かとシェアしたくなったります。美味しかったトンカツの写真をLINEで送ってくる後輩がいたりそれに返信したりしてます。見たり読んだりほくそ笑んだり、いつもスマホと一緒になりました。何か素敵な風景に出会えば写真をパシャリと、時計をしてなかったら時間をチラ見だとか、待ち合わせの場所を確認して、ルートを教えてもらう。ああ。スマホ、スマホ、スマホ。恋人か?いや、恋人というよりは分身か。ええい!

そうこうしているうちに、誰かの考察が気になる。ああ。早くスマホを開かなければ。とかいって、ニュースを読んだりしてます。

ああ。誰かの「感動」が邪魔くさい。誰かの「正論」が汗臭い。誰かの「攻撃」に胸が痛い。このエゴが気になる。ああ。余裕がないのか。ああ。息苦しい。宣伝だらけで文句ばっか!といった歌のタイトルはなんだったか。うお〜!俺にこれ以上ニューバランスの靴を薦めないでくれ!うお〜。正義という鉄拳を見るのはもう懲り懲りだ。正義には、別の正義論理が出現してまた叩く構図。数の暴力、泣き寝入り、ごめんなさい、いきり、煽り、ああ。醜い。この世は己の正義を守る暴力で溢れすぎていて息苦しい。声のでかい奴、どうしてこんなに耳障りなのだろうか。

とかなんとか考えながら電車に乗っている。本でも読もうね。さあ。本を開こう。

周りを見ると、賑やかで人出も増えたものだと思う。皆さん遊びに行くんだろか。山登りに行きそうな格好の若夫婦。楽器を持った人。

ここ、私のiPodから流れてきたfatboyslim。fatboyslimで思うことありでちょっと書いてみよう。聞いていると、心地よさを感じる。90年代の独特なベース音やサンプリングされたドラム音を聴いて懐かしいと思ってしまった。懐かしいよ!ノーマン!さて、さてChemical Brotherとか、fatboysulimを聴いてると、皆で夜に集まって、アルコールとか煙の充満する中、体を揺らしていたの思い出す。ああ。若かったな〜。何も考えず、音を感じてた。体を揺らしていた。うまいセックスをする人にエスコートされるか如く、身を委ねて、沢山の人と踊ったり。あの感覚は、音楽を効くっていうよりも何か別の行為だったような気もするな。久しくしてないなと思い出した。

レイブとか、一緒にデカイ空間で音楽を聴いて身体を揺らす感覚。あまりオカルトとか超常現象っぽく書きたくないが、言葉では言いにくい部分に握手してくる感じがある。なんというか、集団のマジックのような。あの感覚はその場ではわかるんだが、言葉で書くにはなんとも嘘っぽくなってしまう。これは体験するしかないもんだ。野球でもサッカーでも応援しているチームがナイスプレーをした時の高揚感、みんなで同時に歓喜を叫ぶような感覚、ジャンプしたりしてスタジアムが揺れるような感覚、地鳴りのようななんとも意味を持たない声。あの感覚はなんだろうか?一緒にいること。一緒に揺れて感動するという行為。あれは、あそこに行かないとわからないもんですね。

なんて思う休日でした。あなたもそんなご経験ありませんか?

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