十輪寺ライブの後で話した

たまに聞かれる。

「どこまでが即興で、どこまでが決まってることですか?」

そう、十輪寺。ライブが終わった後に、共演者のフルートを吹かれていた佐々木さんに話しかけられた。私もなんて答えようかと頭を捻ってみた。そしてこう言った。

「ぜ、、全部、全部即興です。曲も初めてやる曲だし、、歌詞もそのちょっと前に決めて歌ってます。ちょっと前というのは、1秒前とかです。思いつきです。委ねています。その時の一瞬の判断を重ねることでライブの時間をつくっています。それは他のメンバーも同じです。みんな他のメンバーがどう動くかをビンビンに感じながら音を作っています。僕はそこに言葉という限定的なものも乗せています。たまにどこからやってきたんだよ。この言葉、、というものが口から出てきます。私はそれをジャズと呼んでいます。僕らは音楽のジャンルを聞かれたら『ジャズ』と答えてます。それがいわゆるジャズという分野かわからないけど」

と、、。まぁ、、これだけ言うとそれっぽすぎるから、話を繋げる。

「すいません。言いすぎました。と言っても先ほど言ったことを実践するためにはお互いのことをよく知っているというのが前提です。自分がその時間の中で何をすべきか、それは重要ですが、闇雲なスタンドプレーをするわけにはいきません。それが良いかどうかは全部その後の自分の、、いや全体のプレーに関わってきます。バンドなので、誰がどこで出るか退くか、言ってみれば全体として美しくなるために私たちは向かっています。そのために私たちは呼吸を合わせたり外したりする練習をします。最初の進行方向だけ決めます。それは曲であったり、コードであったり、曲順であったり。メンバーには全部指定しています。ただソロ回しの尺が伸びるかも知れないし、突如聞いたことがない曲を私が、私たちが始めるかも知れない。決めたものから外れるのも、すぐに対応できるのも、練習の時から常に意識してやっています。その時の空から地面から引っこ抜いてきてそれを形にしたいと思っています。この方法に関しては昔からたくさん失敗してきました。でも、その行為がライブでは美しいと思ってついついやってしまうことが多いです。その予感に身を投げてみるというか、、」

そんなことを話す。結局は「練習してお互いの呼吸合わせをして曲をやっている」ということであるけど、ライブが終わった直後だったこともあり雄弁に喋りすぎたような気もする。佐々木さんも嫌な顔ひとつせずに色々聞いてくれた。

どうも、文章にして書くとそれっぽすぎる。もう少し別の表現はできないだろうか。カレーを作るときを考えてみよう。

「あぁ、、今日はこのジャガイモが新鮮で良さそうだ。素揚げして別添えにしてみようか、それとも一緒に煮込んでみようか」

そんなことを考える。そこには正解はないので、判断に委ねた後の時間が積み上がっていく。シェフはカルテットなら4人いるから、それぞれのカレーをつくっていく。そんな感じだろうか。時に混ざり、時に混ざらず。

「カレーをつくろう!」というルールも共通認識もあるけど、どう挑んでいくかは皆に任せてある。どの食材もアイデアもいかせるようにしたいところだ。殺さぬように任せたり時に無視したりしている。食材には持続力があったり特性があったり色があったりする。その幾つかのわからないものが混ざり合ったり組み合わさった時、稀にビックリするようなことが起こる。それが見たいので外れるのが楽しいのかもしれない。後々振り返ると、、、主に他人のプレーに面白いなぁと思うことや発見がある。しかしライブ中は、次々とネクストをその未来に用意してることもあり振り返る暇はない。集中して聴きながらアウトプットしている。

そんなことを話した気がする。
もう10日以上前のことだ。その時は気持ちもホットでリアルにまるでカレーが横にあるかのように話したものの、10日も経つと色々と別の事柄や要素が入り込んでき過ぎてなんでそんな興奮しているのか、自分の体から感覚が離れていくこともある。その思いが熱いうちに形にしたいものだ。でもいつもそんな風に時は過ぎていく。

曲のアイデアだけがポチポチとストックされていく。日に日に何かが生まれ、何かが死んでいく。

そうだ。僕たちは馬に乗った。そしてライブをした。十輪寺ありがとう。



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