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退路を断つという言葉の意味。二度と会社員に戻らないと決意したあの日から、

心臓を焼き切られるような、暗くて熱い焦燥感に背中を押されてきた。「あの瞬間から成功への道のりが始まった」と後から言うのは簡単だけど、当時はベトナム戦争から帰還したけど職も仲間もおらず孤立したランボーみたいな心境だったし、とても他人に勧めたり良い思い出だったとしみじみ反芻できるような綺麗な記憶ではない。

私が思うに「退路を断つ」というのは、手持ちのチップをすべて赤か黒かにbetするようなもので、決して軽い言葉じゃない。

失敗すればすべてを失う。そのプレッシャーは成功するまで、あるいは成功したと自分が腹落ちするまで決して消えない呪いのようなものだ。「能天気に生きられたら、どんなによかったことか」と後悔するかもしれない。他人と違う道を選んで、その孤独さに押しつぶされるかもしれない。花咲くまでの5年~10年、緊張感を持って生きなければならない。

例えるなら綱渡りは10メートルなら出来るけど、10キロも100キロも続けて歩けと言われたら、いかに心労がたまるか想像に難くないでしょ。

そういう意味がある。退路を断つという言葉には。だから「成功するには、覚悟を決めろ。退路を断て」とみんな言うけど、軽々しく選択したらダメだよねって説教くさいことを思ってしまう。

退路を断つというのは、もう他にどうしようもなくて、死ぬしかなくて、でもワンチャンこれが通れば生き残れるかもしれない、自分らしく生きられるかもしれない、という決死の選択なんですよ。

自分の中では、もうこれしか道がないって分かってる。分かってるけど未練もある。まだ正道に戻れるんじゃないか。なにも自分だけ違う道を選ぶ必要はないんじゃないか。そういう迷いを断ち切って、選ぶ。自分の責任で、自分の意思で。何度も振り返りながら。やっぱり戻ろうかな?と臆病風に吹かれながら。そういうキツい過程が待っている。退路を断つのは、瞬間のことじゃない。そこから続く道もまた、退路を断つの続きなんですよ。

退路を断つなら、一度自分を殺す必要がある。

今までの自分を殺す。今までのセルフイメージ、なんとなく描いていた人生プランを全部壊す。自分の手で、ハンマーを持ってフルスイングでブッ壊す。何もかも壊して、はい先の展望が何も分かりません、見渡す限りの大海原…という状態になってはじめて、退路を断った道が始まる。

普通に怖いですよ。だって、見渡す限り大海原。陸も見えない。方向も何となく。まわりに船はいないし船員もいない。船長一人の手こぎボート。アホでしょ。死にに行くようなものだ。そんなことしないで陸で安全に働け。大きな船に乗れ。そう思うでしょ、普通。

それが出来たら苦労しないよ、と言い切れる人だけが、この道を進んでいい人だと思う。

退路を断って大きな事をやりたいなら、一度死ね。一回死ねば、何者でもないのだから、進めるでしょ。大海原。

とまあ、こんな混迷が待ち受けているんだよ~という事を伝えたかったのです。退路を断った後の進路には。

もちろん、悪いことばかりじゃないですよ。これだけの代償を払うかわりに、大きなリターンを狙えるから。陸で指くわえてる人や、大きな船でショボい戦果の山分けにガッカリしてる人とは、まるで違う世界が見れる。

すべてを自分で決めて、それで成功したら、経済的安定・心理的安定はもちろん、何よりも「あのとき退路を断った自分」を救えるんですよね。

過去の自分を未来の自分が救う的な、SF的事象だけど、なんとなく、すべてぶっ壊した後に新しい自分を構築できたような達成感がありますよ。

退路を断つか否か、迷ってる人の参考になれば幸いです。

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