見出し画像

先生はトイレじゃありません

というツイートをしたらこの動画を教えてもらった。

ちゃんとした言語学の話で詳細は省くが
「先生、トイレ」
にしても何にしても隠れたコンテキストがある

他にも
「春の風香る フワフワあまおうパフェ」
とか長くて恥ずかしい商品名を注文したあとに
店員「苺パフェですね」
とか言われるのにも似てる

カフェラテを「ブラック&ホワイト」と表記している店で
店員「カフェラテですね」
と言われてめっちゃイラッとした記憶がある

コミュニケーションには暗黙知と隠れたコンテキストがあるのだ

この暗黙知、隠れたコンテキストは完全に共通認識になっているなら凄まじいメリットを生む

熟年夫婦の「あれとって」とか、なんなら何も言わないでも成立するものとか。普通なら「アレ」ってなんだよってなるはずだけどその前のコンテキストを把握して分かるようなものがある

少し話は変わるが、大学の研究室で教授に言葉の定義を常に聞かれていたのを思い出した
僕「ここは加速度が○○なので~~」
教授「加速度って何?」
暗黙知を許さず、必ず前提を定義する訓練になった
これがないと適切なコミュニケーションができないはずだ

仕事においては暗黙知、隠れたコンテキストは問題になる
「Aページでほげ機能の○○投稿率がxです」
と言ったとして
「Aページ」という呼び名が統一されていないことや、
「ほげ機能」と呼ばれているものがユーザー側には「もげ機能」と表示されていることが多々ある。
「○○投稿率」なども分子/分母がどのセグメントのどういったユーザーなのか、しゃべる時時で変わったり、「○○」の部分が変わることもある。
DDDのユビキタス言語と同じ考え方だが言葉の定義が曖昧、もしくは別の言葉を使ってしまうことはデメリットしか無い。

こういった言葉の小さな違いがコミュニケーションだけでなく最終的な結果に大きな違い(というか間違い)が生まれる原因になると思うので気をつけたい。
他の人が使っている言葉にも気を使ってしまい、何度も言葉の定義や、少しの表現の違いに質問を入れすぎると話の腰を折ったり、ディスコミュニケーションにも繋がるので難しいなと思うところ。
最初にユビキタス言語の重要性の啓蒙から始めるのが良いのかもしれない。

読んでくれてありがとうございます!少しでもいいなと思ったら「スキ❤️」してもらえると飛んで喜びます!シェアしてもらったらもっと嬉しいです!