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自分を見くだす?けなす?楽しいかね?

父がなくなってはや7年、
きょうだいは女性ばかりなので、
盆暮れに実家に集うと、本当に賑やかである。

近況報告から大抵それぞれの家族、
主に配偶者に対する心配や愚痴や不満に発展する。

最初に断っておくが
「◯◯するのはよくないことだ、やめましょう。」
これから書くことは道徳をとく、であるとか、
善悪を判断するものではない。
「ただ、私が感じた」
ことを、
そのままジャッジせず裁かず、
出すことを目的としている。

その日も近況報告から始まり、
心配や愚痴や不満にと話題が移っていったのだが、しめくくりがいつもと違っていた。
姉妹の一人が

「あの人(姉妹の配偶者)は欠陥人間やねん、あの人みたいにならんように子供を導いていく」

と言い出し、それに母が

「あーお父さん(母の配偶者)も欠陥人間やわね」

と、相づちをうったのである。

「欠陥人間」

その言葉が妙に引っかかり帰宅後に
「欠陥人間ってなに?」

怒りが爆発したのである。

「あなた方の事情、散々聞いてるから、
鬱屈した感情をある程度察することは
できるし、共感もするけど
「欠陥人間」
って、なんなのよおー‼️」

心の中の叫びである。

今思うと、仕事や家事育児、全てが中途半端で
自分がいわゆる「デキル人」ではない、
ばかぼんくらポンコツに分類される人間である、ということを認められずにいる、
(ここは自己否定ではない、ただそう思うだけで
自分を責めているものでもない、従って
「そんなことはないよ」
という慰めも必要はないとただ感じる。)
そんな私でも「大丈夫、今生きてるやん、生きていけてるやん」ってことを受け入れられずにいたときに、そこに
「欠陥人間」
って私にとっての魔のフレーズが
手榴弾のようにポンっと降ってきた。
要は
「自分のこともこの人等はそう思ってるかも」っていう被害妄想や
「まともな人間でいないと、母でいないとこう言われる」
って恐怖から反応したのだと思う。

それから一年近くたった今日、この出来事を
ふいに思い出して感じたのが
「確かに二人にとって思う通りの配偶者では
なかったかもしれない。
思い通りにならない相手をみくだして、
けなして満足かい?
何かを諦めてないかい?
相手をけなす、見下すって、相手に関わった自分の価値、自分そのものを貶してることに、見下してることになってないかい?」
この文を書いてるときに私には二人にたいして
何の感情もわかないし、この文にもなんの
感情ものっていない、また、貶すこと見下すことが悪だとさばいてはいない、それは断言する。
その上で問いかけてみる、すべての人に。

「ねえ、相手をけなして、みくだして、満足かい?楽しいかい?
その相手と関わった自分をけなして、みくだして楽しいかい?
満足かい?
楽しいなら飽きるまでやりつくしたら
いいさ。
やっていて少しでもむなしさを、後悔を、悲しみを、快ではないもの、不快を感じるのなら、
不快のループから抜けてみないかい?
限りある時間を快を感じることに
つかってみないかい?
他人を貶めることで、自分を貶めることで
得られるメリットにいつまでも執着するのかい?
それは本当に自分の心、魂が望んでいることかい?
今この瞬間、快を感じられるかい?



表現、アウトプットが苦手で、その練習をここでさせてもらっておりますので、投げ銭頂けるととびあがって喜びます。 サポート頂いたものは、自分と家族が楽しく暮らしていけるように使用したいと思います。