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スタバのホスピタリティから日本経済を考える

「ホスピタリティ」の意味があやふやだ。調べた。

ホスピタリティとは接客・接遇の場面だけで発揮されるものではなく、人と人、人とモノ、人と社会、人と自然などの関わりにおいて具現化されるものである。

狭義の定義では、人が人に対して行ういわゆる「もてなし」の行動や考え方について触れていて、これは接客・接遇の場面でも使われるホスピタリティのことである。

日本ホスピタリティ協会 https://hospitality-jhma.org/hospitality/

毎週1回、母のケアのために実家に行きその帰りに「ご褒美」と称してスタバに寄るのが習慣になった。

頼むのは毎回ソイラテ。
たまにホイップを乗せてもらったりエスプレッソを追加してもらったり。

いつもStojoという折りたたみのできるタンブラー的なものにソイラテを入れてもらっているせいもあるのか最近はStojoを出すだけで「あ。ソイラテですね!」と私がオーダーするより先にパートナーさん(スタバでは店員さんのことをこう呼ぶらしい)が気がついてくれる。

週に1回のスタバが世の中的に多いのか少ないのかわからないけれど、こんな風に覚えていてくれてオーダーする時にちょこっと声をかけてくれるというスタバのホスピタリティーはステキだなぁと思う。

そのお店が提供する商品の価格によって考えを変えるのは良くないのかもしれないが、低価格でコーヒーを飲ませてくれるお店に対して私は丁寧な接客を求めない。「低価格でコーヒーを飲ませてくれる」ことですでに十分だからだ。
だからと言って価格の高い高級店に懇切丁寧な接客を求めるわけでもない。「美味しいものを飲ませてくれる」ことに対価を払っているつもりだから。でも大抵の高級店はホスピタリティもかなりしっかりしていることが多い。

ある意味「しっかりしたホスピタリティを味わうため」に高級店に行くときもある。どうすれば人は嬉しいのか?心が豊かになる対応の仕方とは?ということを学べるから。

じゃあ、リーズナブルなお店でもなく高級店でもないスタバに私は何を求めているのか?と考えたら「美味しいソイラテが飲みたい」だった。(スタバのソイラテは美味しいのよ。)丁寧な接客は特に求めていない。
500円のソイラテは安くはない。でも高いわけでもない。
スタバは美味しいソイラテを短時間で提供してくれる。
電車に乗る前にささっと美味しいソイラテを買うのにとても最適なのだ。

そんな位置付けのお店なのにも関わらず高級店のような気分も少し味わえる。なんとも庶民な考え方かもしれないけど、ちょっとした声かけをしてくれるだけで「常連客」とか「お得意さん」という気分になれるのはちょっと嬉しいものだ。(私も「べつに特別なことじゃないし。海外ではこんな声かけ普通だし。」みたいな雰囲気を醸し出しながらパートナーさんとやりとりしている。見栄っ張りだな 笑)

なんともまとめるのが上手くないなぁ。何が言いたいのかわからなくなってきた(たぶんまだ他人の目を気にしているのだ)。
要するに週1回500円程度のコーヒーを買うだけでなんとなく常連さんとして扱ってもらえる場所、それがスタバなのだ。
若い時はお金があまりないから500円のコーヒーなんて月に1回も飲めなかった。だからスタバに行っても毎回「新しいお客さん」って感じだった。でも今は週1回500円のソイラテを飲むだけで「常連さん」みたいな扱いをしてもらえるのだ。
スタバのホスピタリティの高さがそれを実現している。
その一方で考えるのは、今の日本では週1回500円のコーヒーを飲める人が少なくなっているのかもしれないなぁと思ったのだ。

賃金が上がらないのに物価はどんどん上がっていく、だからみんな生活がどんどん厳しくなっているようなことをSNSなどでもよく耳にするようになった。ニュースでも「爆安!」とか「大盛り!」「コスパ!」みたいなキーワードを毎日のように特集している。
世界から見ればまだまだ日本はお金持ちの国の1つに数えられているのだろうけど…
なんとも実生活では違和感がある。

スタバでの体験からこんなことを考えた。

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