「あたりまえだ」と思っていたのは私だったのかもしれない
母が旅立ってからも毎週実家に通っている。
毎回3時間くらいかけて数日分の夕飯おかずを作るのだ。
ところが最近こう思うのだ。
「なんかこれがあたりまえだと思われても困るな。」
と。
実家の人たちは料理が得意ではない。ずっと母が1人で料理してきた。
母が旅立ち、彼らの心と体の健康を考えた結果しばらくは私が毎週料理をしに行こうと決めた。
何を隠そう、在宅仕事の合間を縫ってこれをやっているのである。
(移動時間も含めるとほぼ一日潰れてしまうのでその分、土曜などに仕事をしなければならない)
毎週休みを取れるほど有休があるわけではないし、自分のために休みたい時もある。
最初は「仕事あるのに申し訳ない」という感じだったのが最近は「来週は(夕飯作りを)休んでもいいよ」という感じになっている。
ん?私はお料理ヘルパーさん扱いなのか?
実家組はお金も時間もあるのになぜ自分たちで解決しようとしないのか?
(食材の一部は私の自腹である。しかも私が食べることはない。)
感謝をしてくれとは言わないけれど、
これがあたりまえだと思われても困る。
私には私の家庭があり人生もある。
毎週料理を作りに行くことでその日は一日中キッチンに立つことになる。実家で料理をして自宅に戻ってまたすぐ料理しなければならない。
仕事は食後、夜中にやることになるし当然終わらないのでその分を土曜日にやることになる。
もちろん家族なので報酬はない。
むしろマイナスである。
今まで実家に寄り付かず自分の稼ぎで自分の生活をしてきた。
母のケアが始まってからは毎週実家へ行き、通院に付き添ったり料理をしたりしていたがそれは今までほったらかしにしてしまった母への謝罪も込めてやっていたこと。
だからこれがあたりまえになることに対してすごく不安を感じるのだ。
できればまた前のように自分たちでなんとかして欲しい。私の収入よりもはるかに多い額の年金や収入を受け取っているのだから宅配を依頼したりお料理代行さんを依頼することだってできるはず。引退しているのだから時間はたくさんあるし
料理を少しずつでもやる時間は取れるはずだ。
私がこうやって甘やかすのも良くないんだろうと思う。私が料理を作りに行くのは体に悪いものばかり食べて健康を損ない、看病が必要になることを避けたい意思もあるのかもしれない。
なので、今後は私の仕事や暮らしが落ち着いている時に時間があれば&気が向けば料理をしに行くというスタンスにしよう。
もしくはヘルプが来たら行けばいい。
そうだ。今までだってそうだったんだから。
と意思を決めた後でふと思ったのだ。
私も「母のケアは父がやるのがあたりまえ」と思っていなかっただろうか?
と。
もちろん私も母のケアをしていたけれど一番近くで一番長い時間ケアしていたのは父で、それをあたりまえだと思っていたのかもしれないな…。実際、私はサブのサブ介護者だと思っていた気がする。父がほとんどのケアをやるのが当然だと。
父だって仕事を引退したばかりで、家事すらほとんどできないのにいきなり介護と看病が始まったのに。「父がやるのがあたりまえ」と思ってしまっていたのではないか?
それなのに父は文句一つ言わず一生懸命母のケアをしていた。
そうだよな。
みんながそれぞれできることをやっていたのだ。わからないながらも、時間がないながらも。
それはあたりまえのことではないけど自分たちは「我々がやらねば!」という使命感にも似た感情で必死にやっていた。
毎週料理を作りに行くことはあたりまえだと思ってほしくはないけど、できる時はやるようにしよう。自分たちで食事をなんとかしてもらうための選択肢を残しつつ、時々ヘルプに行けばいいんだ。
これを義務にされたくないと思い込んでいたのは自分で誰からも強制されたわけではないのだ。
一方的な感情だけを見るのは悪い癖だな。
よくよく考えてみたら、自分もそうだったんだって気がついたっていう話。
やらされるのではなくやりたいからやるにすればいいんだ。
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