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入院手術の思い出【その3】

頭蓋骨の骨を鼻筋に移植するという大手術は本当に大変でしたが、無事に退院することができました。

頭をさわると頭蓋骨の一部が少し無いのがわかります。
ここはぶつけるとものすごく痛いので、またしばらくの間、動きが慎重になりました。

私の口唇口蓋裂の手術もいよいよクライマックスを迎えます。
今度は引っ込んでいる下顎を前へ動かす、という手術を受けることになりました。

「今回はこの引っ込んでいる下顎をぐっと前に出して、噛み合わせが綺麗になるようにします。」
なるほどなるほど。

「動かしたあとは固定しておかなければなりません。」
それでそれで?

「1ヶ月か1ヶ月半、口を開けられません。」
なんですと?!

口が開けられないということは、ご飯は食べられないし、喋れないってこと〜?
しかも1ヶ月も?
私、どうやって生きていけば…?

「大丈夫です。歯の隙間から液体を飲めるので、術後はこちらを飲んでもらいます。」

てってれ〜!完全栄養食ドリンク!

「あと会話は筆談で。」

あ、そう…。

このときばかりはさすがの私も母に手術したくないと話しました。
これできっと最後だから、と諭され結局手術を受けることになりました。
避けて通るという選択肢はそもそもありません。

手術の日、終わったあとの自分の姿を想像し、ポロポロ涙をこぼしていると、手術担当の先生が「大丈夫だいじょうぶ、何も心配しないで。」と優しく話しかけてくれました。
この先生が本当に優しい人で、自分もこんなふうに人に優しくしなきゃ、と思うほどでした。

さて、手術のあと、私の口はガチガチに固定され少しも開かなくなってしまいました。
口を閉じたままでもしゃべることは可能ですが、ハッキリは伝わりません。
常にペンとメモ帳を手に持ち生活することになりました。

完全栄養食と呼ばれるものはだいたい美味しくありません。
今は味も少しは改善されたと思いますが、あの当時は本当に不味くて、ほんの少しの量さえも飲むのが嫌でした。

口を固定したまま退院することになり、母はおかゆの上澄み(おもゆ)を毎日作り、栄養が取れるようにと野菜をたっぷり入れてミキサーにかけたスープを作ってくれました。
歯も磨けないので、水圧で歯の口内の掃除ができるものを買い、それを歯磨き代わりに使っていました。

こういう状況ですが普通に学校には通っていました。
もちろん学校の先生にはこんな状況なので、発表したりは無理です、と伝えてあります。
毎日おもゆとスープのお弁当、筆談でクラスメイトと話す日々、みんなはどう思っていたんだろう?と今になって思います。

退院してからの何度目かの経過観察でようやく固定されていた口を開けることができるようになりました。
久しぶりに口を開けて話す言葉は何だか不思議な感覚でした。
言いたいことを自分で話して伝えられるってすごいことなんだと改めて思いました。
最初は柔らかいものから食べていくようにと言われ、その日家に帰ってから久しぶりに食べた母の作ったおかゆは本当に美味しかったです。

入院期間も合わせると約2ヶ月の間、固形物が食べられなかった私は、ご飯を食べられるって本当に幸せなことなんだな、と心から思いました。
あまり食に関心の無かった私はそれから食べられることそのものに感謝するようになりました。

その後は経過観察のために何度か病院へ通いましたが、20歳になって「もう大丈夫です、必要な手術はすべて終わりました。」と先生から告げられて、ようやく私の長い長い病院通いに終止符が打たれました。

これまでお話ししてきた3つの大きな手術の他にも何度も何度も入院手術を繰り返してきて、ようやく今の自分の顔になりました。
たくさん痛い目、辛い目にもあってきました。
顔にある傷を笑われたこともありました。
そのたびに「私はあなたには経験できないことをたくさん経験しているからね」と心の中で叫んでいました。

入院手術は決して良い経験ではないと思います。
でも、そのことを通じて自分一人で生きているんじゃないんだな、と実感できたし、自分の周りには優しい人がたくさんいるんだと心から思えました。

これまで私の入院手術に関わっていただいた病院の先生、看護師さん達、病院関係の方々に心からの感謝を伝えて、私の入院手術の思い出の話を終わりにします。

長い記事を読んでいただきありがとうございました。
こうやって自分の経験の全容を文字に表すと新たな発見があり、面白いなと思いました。










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