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読む人と読まない人にまつわる自信と誇り

本の話題を書いていたら、「わたしは本好きだったんだな」と改めて自覚してきた、今日も本の話。

黒猫魔術店で占いをやったり、オカルトグッズを販売していると、よく「わたしは自分に自信がなくて…」という悩みが多いということに気付く。
わたしは根っから月が射手座の自由なスナフキン気質なので、自信というものを気にしたことがない。何かを行動する時も根拠のない自信で押し通すし、そもそも「やりたいからやる(それ以外に何が必要?」とシンプルに考えている。

自信がないという人の気持ちがわからないわけではないし、それなりに気遣うことも(自分なりに)してきたが、自信とはいったいなんだろう?とその正体がわからないものに対して疑問に思っていた。
おそらく自信がないと悩んでいる人も、自信の正体ははっきりとわからないのだと思う。

でも先日、私は気付いてしまった。
わたしの自信(らしきもの)の正体に。
あくまでわたしの場合だから、みんなに当てはまることではないかもしれないが、ここに記しておこうと思う。

わたしは本を買う時、読みたい本を一気に、新刊で何冊も買う。一度の合計金額が3~5万円になることはザラだ。そうして一気買いした何十冊もの本をだいたい半年かけて読む。

何十冊もの本はまとめてベッドサイドに乱雑に配置し、気分によって読みたい本を読む。それがだいたい3日(というより3晩)で1冊読み終わる。それも魔術書やカバラや歴史書などオカルトに関する本ばかりなのだが、バファリンのような優しさはこれっぽっちも感じない難解本ばかりである。(わたしに優しくしてくれないことにもう慣れた)

一度にこれだけの知識量が入ってくると、自己満足感がある。
この自己満足感こそが、自信なのではないか。
例えば、自分の考えていることの正しさだったり、他よりも知っているという特別感であったり。わたしはこれを確認するために本を読むのではとすら思う。

当然、無知な人よりも知識人の方を信用したくなる。
オカルトなんて目に見えない隠されたものを扱う分野なら尚更だ。

どんなに霊感が優れていても、無知な霊媒師と知識人の霊媒師では、後者を信用したくなる。

どんなに優れた占い師でも、もちろん同じことだ。

どんな方法で知識を得てもいいだろうが、わたしは本を読む人に勝るものはないと思っている。語彙力、文章構成力、理解力、想像力、英語力、すべて本を読むことで高めていける能力だ。

わたしの文章は素人だし、読みづらいところもあるかもしれない。けれど一応これでも何年もライターをやっているので、できるだけわかりやすい言葉を使ってわかりやすく書くことに気をつけている。
それができるのも、本をたくさん読んだから。

ブログ的な文章と、小説の文章の違いにも気をつけている。
誰がどんな時に読むものかによって、文体や、文字数、省略できる言葉の有無がある。もしもポエムなら難解な言葉を連ねたくなるけど、こういった場ではそうしない。わたしは読み手のことを考えて文章を作りたいと思っている。

そういう風に気をつけて綴っても、伝わらないことだって多い。わたしの意図したものが全く別の形で伝わることもある。

例えば商品ページには商品について細かく説明している表や、おすすめポイントを書いている。これはお客さんが買う前に確認してほしいことだし、ECサイトにとってはSEOとなる重要な情報だ。
これを読まないで注文する人もいて、後でから問い合わせやクレームが来たりする。
そういったことがあった時、口頭やメール上だけで済まさずに商品ページのURLを添付したり、キーワード検索する方法を提示している。

ところが再度読んでもらっても伝わらない。
理解できないと魔術はできない。ただ闇雲にやっても、どこか信じきれずにやってもダメで、その不安を払拭するためにロジカルに説明している。

でもやはり読むことに慣れていない人は、魔術は難しいのかもしれない。
知識はただ読むだけでは身につかない。読みながら想像力を駆使して応用して組み立てなければならないからだ。

そういえばcookpadの業績不振も、料理動画サイトの人気のせいだという。わたしは自分のペースで料理がしたいし、何度も読み返したいので文章の方がラクなんだが、動画のようにさくっと観れるものの方がいいという人が多くなったのかもしれない。
その傾向は様々な業種に言えることだが、魔術はどうだろうか。たしかにさくっと占えるアプリや、1日スキルアップセミナーも流行っていると思うけど。
魔術は研鑽を重ねて何度も読み返さないとまったくわからない=身につかない=儀式をやっても叶わない。
そう思う。

以前バーチャル霊媒師とか、VR魔術とかの話題を生放送で語ったけど、いずれそうなるとしても…というよりそもそも霊体はバーチャル世界に似た世界にいるから時代が追いつくとでも言うべきか…どちらにせよ、知識も理解力も想像力も必要不可欠だ。
彼らは何もかもをさくっと済ませた結果、どのようにそれらの技能を身につけるのか。

さくっと入手できる時代が、とても生きにくい。息するのも苦しい時がある。
きっと必至に効率化を進めて、ゆっくり本を読んだりすることがなくなったのかな。
ヘミングウェイと格闘することもないのかな。スティーブンキングに引き込まれることもないのかな。

…そんなことを思うわたしは自分の自信よりも、時代とのギャップを感じることの方が少なくともわたしを悩ませていると知るわけだ。生まれてくる時代まちがった!

つまるところ、わたしは自分の書いたものを素晴らしいとは思わないが、誇りがある。これまで読んだ本の数、そして日々綴ってきた数が誇りになっている。これが自信なのかもしれない。
それはわたしが今までやってきたことの証であり、生きてきた歴史。

もし自信ってやつがこれまでの歴史なのだとしたら、それは変えることのできないものだ。生まれてくる時代は選べない。
逆にいえば、これから歩む歴史が自信になる。それなら前向きに歴史を作っていくしかなかろう。

人には好き嫌いや向き不向きがあるから無理強いはできないけれど、魔術するならとにかく文章を読んで。よく読んで。理解して、本当に必要かどうか吟味してから買い物をしてくださいね。



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