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匂いと記憶

 プルースト効果というものをご存知だろうか。
 特定の匂いを嗅いだり味覚で感じることで記憶や感情が想起される心理現象のことで、フランスの小説家、『マルセル・プルースト』の小説『失われた時を求めて』の文中において、主人公がマドレーヌを紅茶に浸したとき、その香りをきっかけとして幼年時代の記憶が鮮やかに蘇るという描写から名付けられた、らしい。

 匂いというのは聞こえないし見えない、という観点から言えば記憶に残しにくいのかもしれない、明確に『そこにある』わけではないので脳としても記憶の仕方に困り、考えた末に嗅いだその時の関連した記憶と一緒くたにしたのかもしれない。
 どうも私はその傾向が人より強いらしく、気づかないうちに細かく分類されていた。

 例えば、雨の匂い……と言って伝わってくれるかわからないが、とりあえずそういう匂いを感じ取れる。その雨の匂い一つにも雨に濡れたコンクリートの匂いや土草の匂いに分けられ、この時点で二つの匂いが存在してさらにそこから四季毎に、気温や空気などでも若干の違いがわけられることもあるため『雨の匂い』だけで実に数パターンくらいの分類が私の中では存在する。
 その数パターンほぼ全ての匂いを嗅ぐと何かしらを思い出す。
 大体は子供の頃に行った母親の実家の記憶だったり通学途中の景色など、自然の多い場所の記憶が想起される。これが多くの匂いに触れたからなのか単純に一番楽しかった記憶だからなのかはわからない。

 ただ、普段は全く思い出せず、今思い出して語れと言われても思い出せないし語れない。
 『失われた時を求めて』の主人公のように鮮明には思い出が蘇る、というわけではなく写真一枚、ワンシーンの切り抜きのような感じで思い出が現れ消えていく。
 一つの匂い一つの記憶というわけではないらしく、いくつかの場面が想起されることもあるけどやっぱりワンシーンの切り取りみたいな思い出し方をする。
 金木犀の匂いがすると実家を思い出し、雪の匂いがすれば親戚の家や父方の祖父母の家が思い起こされる。
 自然なものの方が匂いも独特でわかりやすいからなのかわかりやすく思い出せる。
 極端な話し、アンモニアの臭いを嗅いでトイレを連想するのも記憶の結びつきだ。この匂いはこれだ。強烈な匂いでなくとも覚えていて、枝分かれしているというだけなのだ。

 子供の頃にクレヨンしんちゃんの映画で匂いによって大人たちが子供に戻る(思い込む)という描写があり、今思うとあながち的外れとは言えないと感じた。

 転勤続きで全く知らない土地に行き、久々に知っている所に行くと「懐かしい匂いだ……」となるし、全然違う場所でも似た匂いを感じると既視感を覚える。
 こうなってくるともしあの映画そのままの施設、匂いができたなら自分も子供だと思い込みそうだ、と謎の危惧をしてしまう。
 曇り空、雨の匂いがすると「あ、これから雨降るな」と思い少し経つと本当に降ってくる、ということもままあった。意外と便利な面もちょっとあった。

 ただ、ここまで書いてきて今更ちゃぶ台ひっくり返す様なことを言うのだが、私は鼻炎性アレルギー持ちの花粉症持ちなのだ、春先なんてティッシュ無しでは生きて行けないレベルで酷くなる時もある。
 鼻が機能してなければ、当然匂いなんて嗅ぐどころの話ではない、はずなのだが何故か匂いは感じ取れる、何だこれは。
 冬、夏などはまだ花粉も鼻炎も治るので匂いが感じ取れるのは分かる、しかし春先なんかに咲く金木犀なんかの匂いも分かるというのは自分自身、解せないものがある。
 実は花粉症でも鼻炎持ちでもないのでは?と思うこともあるのだが、花粉が酷くなるとやはりティッシュが相棒になる。

 そんな状態で匂いなんてわかるのか?と自分でも思うのだがわかる、何故かは知らない、自分が無知なだけで実は鼻詰まりを起こしてても匂いが分かるのかもしれないけど。
 もしかしたら匂いそのものより感覚的な部分が強いのかもしれない、その辺り含めて誰か詳しい人がいたらいつか訊いてみたい。
 訊いてみたい、と言えばこの匂いを感じ取れる、という人のことをあまり聞いたことがない。家族も同じようなことができるのは知ってる、けどそれくらいだ。
 ソムリエとか、匂いで銘柄がわかるような人もこの匂いの感覚があるのか是非訊いてみたい。
 

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