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「なんのアルバムが好き?」
聞かれたら私は絶対に「Variety」と答える。
理由なんかない。
ただ単純に「好きだから」「これが私の好きになったミセスだから」。
でも、強いて理由をあげるとするなら、この曲が入ってるから。この曲が1曲目にあるから。
かもしれない。
ライブの手拍子も、コールも、全部これが1番好きかもしれない。
間違いなくライブでイントロが流れたらテンションが上がる曲。
そして、私が生きていく上で大切にしていること。
ミセスの根幹の1つだと思う
この言葉は、形を変えて、色を変えて、
これからも様々なミセスの楽曲に出てくる
当たり前だけど、それは今にも続いている。
自分はとても、恵まれた環境にいると思う。
辛いことはあっても、周りに人がいてくれる環境にある。
それでも、苦しいは来てしまう。
なんで自分だけ、って思ってしまう。
しんどい、しにたい、
これまで何度も思った。
きっとこれからも思ってしまう。
でも、そんな時こそ、ちゃんと周りにある小さな愛情に目を向けたい。
些細な一言。
当たり前に向けられる好意。
それは別に、壮大なものじゃなくていい。
例えば、横断歩道を渡る時、1台の車が停まってくれた、とか。
きっとそんなものでもいい。
少なくとも私にとっては。
この曲を好きになったら、少しだけ周りに優しくしたいと思った。今まで好きだった人を、もっと大好きになった。
そう思えた自分が、ほんの少しだけ好きになった。
今日のデザート美味しかったな、とか。
久しぶりに友達から連絡がきた、とか。
帰ったら当たり前にある幸せ、とか。
周りに誰かがいる幸せ、とか。
全部、当たり前じゃない。
大切にしたい。
日々を尊く思う。
この曲との思い出は、って書こうとすると、思い出すのはライブの中ばっかりなんだ。
元貴さんの大きな「say」で始まる曲。
大きな声で「yeah」を音に乗せて。
時にテンションが上がりすぎて叫ぶように。
お手を拝借、のクラップ。
全力の、「ら、ララララ。」も「ナニヶ原」も。たまに声が枯れるくらい叫んだ。
「パッパッパ」「チャプチャプチャプ」は、全員が一体になって声を出すのが好きで、そのあと響く楽器と元貴さんの声が会場に一瞬這う感覚は、もっと好きだった。
ライブは好きにのっていい、と言う彼が指示する、数少ない曲。クラップとウェーブ。
あやかちゃんのドラムに合わせてクラップが始まるのが、曲の中で最高潮にワクワクして、大好きだった。
手を挙げて、全力で、ステージを見上げて、楽しそうなメンバーを見て、余計に楽しくなって。
ライブハウスでも、ホールでも、アリーナでも。
ライブでこの曲を聞く度に、こういう瞬間が、私の中の幸せとして、積み重なっていくんだと思った。
ミセスがここに来てくれること。
この場に今いること。
この曲を選んで、今届けてくれてること。
総じて愛情を感じる、と言うには、烏滸がましいかもしれないけれど。
サビが1番好きなんだけど、隠れて好きなのは、
ここを誰がどう捉えるかわかんないし。
もしかしたらそんなに深い意味自体ないのかもしれないけど。
でも私は、ここに感じるさり気ない優しさが、とても好き。
誰も取りこぼしなんかしない、と言われてる気分になる。
そんな意図ないのかもしれないけど。
私はミセスのこういう曲が好き。
明るくて、ポップで、キャッチーで、覚えやすくてノりやすいのに、歌詞は重たい。
本質を突いてくる。
自分の今までの生き方を問われる。
「POPの皮を被った曲」と勝手に呼んでいる。
「POPの皮を被った曲」が大好き。
だってそうできる大人になりたいと思ってるから。
辛いことがあっても、苦手な人がいても、ニコニコできるのが大人だと思ってるし、自分の感情を相手にぶつけない人になりたい。
そのためには、自分の余裕も必要で。
でも毎日都合よく上手くはいかない。
どうしようもなくしんどいときも、
もうこんな思いはしたくない日も、
思いたくないのに抱いてしまう負の感情があるときも、
自己嫌悪する日々も、
どうしてもできてしまう。
ふとこの歌を思い出す。
起きている事象は変わらない。
他人は変わらない。
環境はそう簡単に変えられない。
その中でいかに、自分に向けられた愛情に気づける?
言葉にすると稚拙になる気がする。
とにかく私は、この曲を聞いてから他人と自分に少しだけ優しくなれたかもしれない。
そしてライブで聞いたらぶちあがる!!!!
ライブの最後の演奏も大好き。
曲が終わって、白い光に照らされて、4人があやかちゃんのドラムに集まって、ジャカジャカかきならして、終わりそうで終わらないあの音の中で、ずーーーーーーっと拍手していたい!!!!!
あの瞬間、光を眩しく感じながら。
「忘れたくないなぁ」と思う。
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