関係性の利用

私は先輩や後輩との関わりが多い。
同輩と遊びに行くことよりも、先輩や後輩と遊びに行くことの方が多い。

一つの側面として、距離感が一定で保たれるため、居心地がいいのではないかという点がある。
でも、これについては微妙なところで、なぜ同輩ではだめなのかという問いにはいまいち答えられない。

もう一つの側面として最近気づいたのが、今回のテーマ、関係性の利用である。
詳しく見ていこう。

まず、前提として、私は(ひとまず身体性で考えると)同性の友人よりも異性の友人の方がやや多い。これは小学生、ひょっとしたら幼稚園生くらいから続く交友関係の特性なので、環境よりは性格に起因しているものなのかもしれない。

しかし男女の関係(恋愛的な意味ではなくてただ単に異性間の人間関係という意味)というのはいろいろと面倒である。

例えば、今、上記のように「男女の関係」といった、「男と女がいて、その2人の人間関係です」という言葉にもいちいち注釈をつけなければ、恋愛という視点で捉えられてしまう可能性がある。
同じように、ただ異性の友人と一緒にいるだけで、周囲から「付き合ってるの?」というように噂されたりする。実際されてきた。まあ無視すればいいのだけど、煩雑といえば煩雑である。

こうした状況を鬱陶しく感じる反面、私もそうした社会に由来する感情を抱いてしまうので、なんとも滑稽な話である。
ずっと一緒にいるとなんとなく好きなような気がしてしまう。

それから、これは先日の「気持ち悪いと愛の話(気持ち悪いの方)」での内容に少し通じるのだけど、相手から向けられる感情に対してたまに気持ち悪いなと思ってしまう瞬間がある。
たまーに。
でも、その気持ち悪いに入るか入らないかの境目はいまいちわからない。

このような状況になると、関係性を一定に保つことが難しくなる。
いわば関係性が不安定になる。
周りから噂をされたり、自分の感情が変化したり、相手からの感情に違和感を覚えたり、こうしたイベントは関係性を変化させてしまう。

この関係性の変化が望んでいるものならいいのだけど、こうしたイベントによってもたらされる変化は大抵望ましくない。

さて、今回のテーマは関係性の利用ということであったが、上記のような異性間の関わりに、関係性はどのように利用されるか。

関係性と書いたが、ここでいう関係性とは、厳密には、「社会通念だとか社会の仕組み的に構築される」関係性であり、友人関係や恋人関係というような感情や個人的なコミュニケーションを通じて構築される関係性ではない。
前者の例を挙げるとするならば、まさに先輩ー後輩関係である。

先輩ー後輩という関係性は、年齢や学年、あるいは時間をベースに築かれる。
そのため、感情ベースで構築される友人関係と比べて、感情によるブレが少なく、安定した関係であると考えられる。

このことは、先に挙げた三つの面倒な点を解消してくれる。

まず、他人からの言葉について、何か言われても、「いや、先輩後輩だから笑」と言えば回避できるし、それでもなお何か言ってくるようであれば「兄弟みたいな」というような表現をすれば、大体回避できる。(実際、仲のいい先輩・後輩に対しては兄弟・姉妹のような巨大感情、big loveを抱いている(重い))

自分の感情についても同様に、何か感情の変化があっても、「いや、これは兄弟・姉妹に対して向く強い愛着のようなものだ」というように恋愛感情(の芽)を棄却できる。
兄弟姉妹に恋愛感情が向いてしまったとしても、きっと多くの人々は「兄弟・姉妹だから……!」という感じでうまく感情を対処するだろう。
私は疑似的にそれを行っている。
また「先輩ー後輩エフェクト」のようなものがあるのではないかと考えている。
後輩は可愛くて、先輩はかっこいい。みたいなものである。
エフェクトのせいにすることで、さらに恋愛感情を棄却できる。

そして相手から好意を向けられたとしても(勘違いである可能性も大いにあるのでその点については一度保留する)、「先輩ー後輩エフェクトのせいだ」というように捉えることで、可能性を否定できる。
同時に先輩ー後輩フィルターのように、相手を先輩や後輩であるという前提のもと見ることで、先に挙げた気持ち悪いなという感情を発生させずに済む。

このように、先輩ー後輩関係を利用することで、私は相手との関係性を親密ながらに固定するという戦略を取っている。安定的な関係は精神に負担をかけないので、狭小な私の精神的なキャパシティを消費することなく人と関係を維持することができる。

しかし、この戦略には欠点がある。この戦略を取り続ける限り、同輩の友人しか恋愛対象に入れることができないという点である。一方で、初めに述べたように、私は同輩よりも先輩や後輩との関わりの方が多い。
また、関係性の安定という点を中心に置いた場合、そもそも恋愛関係にすることはリスクこそあれ得られる利益は少ない。大抵、友達のままでいいんじゃないかという結論に至る。
難儀なものである。

なんでもかんでも恋愛にするという風潮は好まないが、私とて恋愛はしたい。
しかし関係性の安定を中心に考える限り、その道はおそらく閉ざされている。
この道を開くためには、おそらくこの安定性を超えて、何かを得たいという強い感情が必要となる。
その感情が、私の用意した巧みな戦略や論理を打ち破る時がきたら、その時私はようやく恋愛をすることができるのだろう。

注)本文で特に断りなく男・女や異性というように性別に関して表現したものは全て身体性である。

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