年収1憶円のクルミの過去

年収1憶円のクルミの過去

いきなりですが
私は20代後半ずっと性別は女性でサラリーマンでしたが、年収は1億切ったことはありません。
これを言うと驚かれます。
いきなり年収の話で下品かなとも思うのですが、
人が自分を語る上で第一印象で覚えていただくというのは、
非常に大事だなと経験上感じています。

20代前半の時はホステスをやっていました。
当時はかなり売れていたと思う。
調子に乗っていると思われることも多々あったでしょう。
良くも悪くも、たくさんの人を見てきました。そしていろいろな経験をしました。
夜の世界は、汚い部分もありますが、私にとって、ここでの経験は、大きな礎になっていることは間違いありません。
日本の大富豪と言われている人たちも隣でたくさん見ることが出来ました。

その後、私はサラリーマンとして年収1億円を超える収入をもらえる存在になりました。


たくさんの人と関わり物やサービスを売ってきたからこそ、語れる事があると思い筆をとらせていただきます。


世の中は、「何を語るか以上に誰が語るかが」が大事だというのは、
元ホステスや営業として強く思うところです。

だからこそ、このような入りから始めさせていただきます。


私には伝えたいことがあります。

営業はまじめに取り組めば誰でも成果を出せる。
これが私が生涯伝えたいことです。

その前提で私の過去を共有させていただこうと思います。
少しお付き合いしていただけたらと思います。


本業は不動産屋さん
”不動産屋さん”というフレーズはかなりダサいが私はとても気に入っている。
人からはよく、日本で一番ポップなテンションで不動産を販売している女性だと言われる。

20代は自分自身が不動産営業でバリバリ働いていた。
年収は1億切ったことはなかったです。
年間自分の自身で150案件ほど関わらせていただいていました。
チームで考えたらその倍近いかもしれません。
今考えたら一つの会社くらいの規模の売り上げを作っていました。



自分にしかない人生経験から学ぶ事は多い。
私の人生経験を人に話すと、
人からはよく、だからくるみちゃんみたいな人間が出来上がったんだね。
と言われる。
我ながら中々個性的な人生を歩んできたと思う。

今は個人的に年間1000件ほど、
悩める子羊さん達の恋愛、仕事、人生相談に乗っている。
もはや本職は占い師なのではないかと思う時もある。


今はお仕事としては、自身でたまに不動産の案件を受けることもあるが、
自分で、不動産投資をしたり、何かの事業投資をしたり、株式投資や、仮想通貨など様々な投資で資産を増やしている。

中でも一番難しくてやりがいのあるのが営業のコーチングです。
これは一番の投資かもしれない。人材育成は永遠の課題で最大の投資であり、一番やりがいを感じるのと自身が一番楽しんでいる。
最近は営業以外の人も見させていただく事がありかなり楽しい。わくわくする。人が成長したり何かを発見して希望を持つのを隣でみる事はこの上ない幸せだと言える。


営業を極める事は人生経験を極める事だ。


営業を極めると人と向き合う事がいかに難しい事なのかを学ぶ。
人生経験豊富であればあるほど共感できる、
人に寄り添える、その人を理解できる
人として成長すれば、その先に
人を受け入れられる、そして受け止められる。


私の人生を遡って考えてみた。
生まれてきてから
経済的には苦労したことはなかったと思う。
生まれ落ちた家族で、私の人生は本来であれば決まっていたはずだった。
経営者家系の長男の父を持つ一人娘として生まれた。


生まれながらにして苗字を引き継いでいく事、会社を継ぐ事は決まっているはずだった。
色んな事がもう決まっているはずだった。
中学受験をして私立の一貫校に入学する事、
そのままエスカレーターで大学に上がっていき、大学卒業した後は
何年か家業のお付き合いのある上場企業に修行として働かせてもらい
いいタイミングで家業に戻り、見習いから始めていずれ自分が社長になること。
家族とひとくくりにするのは誤解がうまれてしまうかもしれない
少なくとも、おばあちゃん、周りの親族はそうあるべきだと考えていた。
ただ、おばあちゃん、親族にとっての誤算が起きた。
生まれてきたのが女の子だった。
そして一人しか生まれてこなかった。
”自分で選んだ家族じゃないのに、、、、なんでここに生まれ落ちたんだろう、、、、”

父親は、親に敷かれたレールをそのままわたってきた人で、子育て、自身の家庭に関しては無関心だった。
そんな父親の元にお見合いで嫁いできた母親は私の唯一の味方だった。
私を一人の人間として取り扱ってくれた。
彼女はほかの周りにいる大人達と違って私に何か価値観を押し付けることはなかった。
ただ母親一人では私の事をこの環境から守り切れなかった。
母親の力だけでは足りなかった。

子供ながらに感じていたこととしては、
”お母さんの味方は私しかいない、、、私が強くならなくちゃ、、、”

物心ついたころ、おばあちゃん、親族から言われて覚えた言葉は
”次男”という言葉だった。
そのころ言葉の意味はよくわかっていなかったが
次男を見つけたらつばをつけろ三男だったら縄で縛って持って帰れ
おばあちゃんの決め台詞だった。
幼い私は言葉の意味を理解しないままことわざのように口にしていた。
私のこの家族での使命がこの家族の色んなものを引き継いでくれるお婿さんを見つけてくる事になっていった。


そんなにうまくいかないのが人生だ。


中学まではいい子でいた。
多少のストレスは家族と違うコミュニテイーで発散していた。
小学校の頃は多少いじわるをしたって大人に嘘をついたってかわいいものだった。

中学受験も必死で頑張った。
正直行きたくなかった。
確かに私立のかわいい制服には興味はあったが、
そこまで大して行きたくはなかった。
ただ、親族、おばあちゃんの期待には応えたかった。
応えないと怖かった。
”私の居場所をこの家族で守らなくちゃ、、、、”


中学受験に見事成功した。
みんな驚いた、そしてみんなが喜んだ。
涙を流しておばあちゃんは喜んだ。
私が行きたいふりをして頑張って勉強していたから母親も喜んだ。
”これでよかったんだ、、、私の居場所が保たれた、、、、”


入学したらゴールだった。
特に勉強が好きなわけでもなかった。
無理して入った進学校
正直ついていくのがやっとだった
結局ついていけなかった
育ちが良く優等生のお嬢様ばかりで価値観が合わなかった。
仲良しごっこに頑張って付き合っていたがかなり無理をしていたように思う。
居場所がだんだんなくなっていた。
先生に反抗するようになった
たまにいる私と同じような友達は私に影響を受けて
同じように反抗した
私だけが怒られた、私だけがおもたい罰則を受けた
理由は影響力があるから
呼び出された母親に先生はそんな風に説明していた。
”理不尽な世の中だ、、、生きづらいな、、、、”

高校にこのまま上がれないかと思っていたが、
なぜだか上がれた
高校でも同じだった
常に成績はしたから2番目だった。
一番最下位は不登校か、同じようにテストの間も寝ているもう一人のクラスメイトで
その次は私だった。
校則が厳しい中で化粧をしたり髪の毛を染めてみたり帰り道にカラオケしたり
他校の男の子と合コンしたり
今考えたらかなりかわいい反抗だった。
毎日とにかく楽しくなかった。
”何をしても楽しくない、、このまま私の人生こんな感じで続いていくのかな、、”

そんな私もこのままではいけないと思い始めた。
このまま何もしないで私は大人になっていくのかなぁ
とぼんやり考えるようになった。
ちょうどその時に進路の紙を書くタイミングがきた。
進学校であり一貫校だった私の学校では
そのまま大学に進むクラスと外部受験クラスに分かれる
当然今のままの成績では特進クラスに入れない。
そのころたまたま母親が友達に、
「自分の娘が通っている個人塾で
とにかく塾長が変わっていて魅力的でくるみちゃんにぴったりだから会ってみたらどうか」と提案が来ていた。
”興味は正直ないけど、、、このままエスカレーターで一貫校の大学に進んでしまうのは嫌だなぁ、、、”


なんとなく会ってみることにした。
まさかそれが私の人生を変える出会いになるとは思ってもいなかった。

母親となんとなく行った個人塾だったがまさか二店舗中の一店舗が
何もない自分の家の最寄りの駅にあった。
駅前にあったが意識したことはなかった。
通された奥の小さな部屋にいたのが仏様のようなおじいちゃんで
噂の塾長だった。
”このおじいちゃんが噂の塾長か、、、想像していた人とは少し違うな、、、”

会っていきなり哲学の本を読まされた。
何を話したかははっきり思い出せないないが
色んな、たわいもない勉強に関係のない質問と塾長本人のくだらない昔話を永遠とされた。
今の私の偏差値など一つも聞かれなかった。
そして私に行った一言が、


君には東大か慶応の二択だよ
という話だった。

正直このおじいちゃんぼけているのかと思った。
でも君は入れる、とはっきり言われた。
塾長の目が本気だった。

”どこからくる自信なんだろう、、、まっすぐ私を見る目が本気だ、、”

その瞬間私の中のスイッチが入った。
純粋に、入ってやろうと思った。


そこから私の生活は一変した。
おそらく周りの人間からみたら私は何かにとりつかれている
そんな風に感じただろう。
その名の通り憑りつかれているように勉強した。
勉強をしてもしても満足しなかった。
どれだけ時間を費やしても足りなかった。
寝る時間以外はすべて勉強した。
学校にいる誰よりも勉強した。
やりつくして参考書がなくなった。
やりつくして単語帳がなくなった。
やりつくして過去問がなくなった。
勉強しすぎて勉強してない時間が怖くなった。


成績は一向に上がらなかった。
塾長の顔をたまに見に行くと変わらず自信満々な目を私に向けている。

この人の目を信じるしかないと思った。

勉強に勉強を重ねてとうとう周りが心配するようになった。
周りも私がおかしくなったと思い始めた。

受験目前の冬に一気に成績が伸びた。
少し自信がついた。
ただ成績が伸びた事にたいする自信より
かけた時間と自分の思いに対する自信が尋常じゃなかった。


最後これで落ちたら誰が受かるんだろうと思うようになった。
”自分が費やした時間、それだけは絶対に裏切らない、、、どんな結果であっても
私は納得するだろう、、、、”


受験シーズン
行きの新幹線
ぼんやりする希望も何もない故郷を離れて
わくわくした。
何でもできる気がした。
何でも叶う気がした。
”東京で一旗揚げる、、、”


毎日試験と戦った。
いくつか申し込みだけ親にさせられたすべり止めの学校の試験は
行くふりをした。
行ってきますとだけ言って慶応の赤本を何度も自習室で問いていた。
後がなかった、
この学校に入らなければ
高卒で家業で働いて継ぐ以外の選択肢はないだと言い聞かせた。
”もう後がない、、、受かる以外の選択肢は私の人生にはない、、、”


見事受かった。
ただ、びっくりしなかった。
受かる自信しかなかった。

周りは驚いた。学校の先生は驚いた。
学校の生徒の親御さんはさぞかし驚いただろう。

ただ、最後はみんな応援してくれていた。
真似してはいけないと先生から言われていた私が
見習いなさいと言われるようになっていた。


私は中学受験にも見事成功して
こうして大学受験も見事成功したのだ。
”よし、東京で何をやろう、私は何でも出来る切符は手にした、、、”

これで終わりそうに思える私の人生、実はまだまだ序盤だ。


受験に受かったらそれがゴールになってしまった。
また一度人生が終わってしまった。


何でも叶う気がした大学生活。
正直そこには何もなかった。
久々の共学、特に楽しくなかった。
サークルもピンとこなかった。
部活も入ったがピンとこなかった。
何もピンとこなかった。
”私が東京に来てしたかった事ってなんだったっけ、、、なんでこんなに頑張ったんだっけ、、、?誰のために何のために来た?この先何を目標にすればいいんだろう?
何をしたら楽しんだっけ?”


ただ、家族からは解放された。
おばあちゃん、親族の前での私が必要じゃなくなった。
とにかく解放された。自由になった。
ただただ解放されたい一心だったのに、解放されても何もなかった。
ただただ自由なだけだった。
自由をとにかくもて遊ぶ事になった。
孤独だった。
”こんなはずじゃない、、、、”


そんな中で悪い友達に
生まれて初めてバイトを紹介された。


それが水商売だった。


未経験の私が有名店の六本木のキャバクラに連れていかれた。
じろじろ頭から足の先まで見られ、名前を付けられた。


”この人私にいくらの値段をつけるんだろう、、、、”


無名の私が外見だけで高額の時給を付けられた。
初めて働くことを体験した。
キャバクラは、何者でもない私が別の名前を付けて誰かになり切るお仕事だった。
誰でもない私が何者かになって働く、、、
私には逆に居心地がよかった。
”そもそも東京に自分の居場所はない、何者でもない、、、
そこに名前を付けられ求められるお仕事を誰かになり切ってやるだけだ、、、”


世間知らずだった。
お金を稼ぐことはこんなに簡単な事なんだと思った。

何もしらない私は、とにかくまじめに黒服の言うことを聞いた。
まじめに働く子がいない中で
私はまじめに働いた。
真面目に言われた通り働けば、みんなが喜んだ。
みんなが褒めてくれるのが嬉しかった。
それに伴って毎月見た事ない金額が振り込まれた。


水商売はいたってシンプルなお仕事だった。
愛されれば応援されて、まめになればお客様が増えて、
空気を読めばリピートにつながった。
かけひきをすれば売り上げがあがった。


ここで私は営業の基本の基の字を学んだ。


気が付いたらいわゆるプロになっていた。
それに伴ってこのお仕事は高額な報酬がもらえる。
お金で買えるものは基本的にすべて自分で買えた。
それでも全然満たされなかった。幸せは買えなかった。
最後には欲しいものも特になくなった。
”実はお金で買えるものって世の中にそんなに多くはないんじゃないのか、、、”
そんな風に感じるようになった。


大学の友達の色んな価値観とはどんどん離れていった。
普通がわからなくなった。

生活水準がどんどん上がっていき私のお金に対する考え方が普通が世の中の普通じゃなくなっていった。
お金がない生活ができなくなった。

ある日、水商売の事、大学に通っていないこと、
全て親族や家族にばれる日が来た。
当時それくらい私はもうその世界で少し有名になっていた。


そんな中で私も恋に落ちた
水商売を上がって、結婚しようと思った。
”お金で買えない幸せを私も経験してみたい、、、、”


親は当然大反対した。
社会を知ってからせめて結婚しなさい。
普通に働いてみなさい、そのためにそれなりの大学に行ったんでしょう、、、

みんなに迷惑をかけた。

そこで最後の親の願いをかなえることにした。

普通の企業に就職することにした。

当時の日給が月給だった。
またつまらない毎日が続いた。

まだあのキラキラした水商売に後ろ髪惹かれるものがあった。
”情けないけどまた戻りたいな、、、また誰かになって求められて働きたい、、、”
同じ町では働けないそう考えた私は違う町で働くことにした。


今では考えられないが、両立できた。

またその街でも結果を残していった。
やはり天職だと確信した。
また戻りたいと思った。
彼とは別れて自分のしたい選択にすすむことにした。


会社を辞めることにした。
親の顔に泥を塗った。

戻って水を得た魚のようにまたいきいきと働きだした。
”でもいつまでこれを続けるんだろう、、、いつになったら本当の自分で親にも認められるような仕事で勝負できるんだろう、、、、”

昼の仕事を経験した後の私はこのままこの先水商売で働く事のできる年数を考えた。
ぞっとした。

このままこの先この楽しい時間と自分の価値は続かないと思った。

今となってはそこからビジネスを考えて企業したり成功する女の子もたまに存在するが
当時基本この仕事の終わり方は結婚して拾われる以外成功と言われる終わり方はなかった。

怖くなった。

結婚以外の成功がないことに恐怖を覚えた。

昼の仕事で夢を見つけて働こうと考えた。

その時、数年この仕事を続けてきて
一番はぶりが良さそうなお客様の働いている職業に就こうと漠然と考えていた。

不動産の一択だった。

胡散臭い人、真面目そうな人、一貫してこの職業に就いている人はみんな
お金には困っていなさそうだった。


そこで不動産会社に入社することになった。
男だらけの中に紅一点
正直なめていた。

夜にふざけてお酒をあびるように飲んでいる
不動産屋で働く男の人は、
昼には泥水吸っていた。
ちゃんと努力していた。
だからお金を払って高いお酒を飲めているんだ。


私だってそれなりに自分の人脈と営業力には自信があった。
お金持ちの知り合いはたくさんいた。
すぐにみんな買ってくれると思った。


全く売れなかった。
昼間の私には興味がだれもなかった。
”こんなにも何か販売する事って難しいんだっけ?他人が自身の財布からお金を出すことってこんなに難しい事だっけ?”


昼に会うと夜にあっていたお客様は思ったより真面目に働いていた。
私よりもうんと賢かった。
私よりもうんと常識的だった。
私よりもうんと良識的だった。
私の考えが甘かった、社会を知らなかった、未熟だった。


急に連絡をされて営業を受けた大学の先輩、後輩、同級生、、、
夜のお客様、
思ったより真面目にお断りしてくれた。
そのおかげで自分を見つめなおすチャンスになった。
自分が人生通して周りの人にやってきた事に対する成績表を付けられている気分だった。


お断りされて当然だと思った。
お断りしてくれるだけありがたい事だと思った。


真面目に自分の人生を振り返った。
”自分の人生何か周りの人のために心の底からやってあげたいと思ってやってきた事はあっただろうか、、、、”


大きな金額を決断される人間になろうと思った。
シャンパンではなく一生の資産を買ってもらえるような人間になろうと思った。

そこでとにかくまた私の勉強の日々が続いた。
不動産について徹底的に調べた。
不動産が自分の中で納得する商品になるまで勉強し続けた。
”人に嘘をつきたくない、不動産を通して本当に人に価値を与えられることは何なんだろう、、、”


それと同時に
営業についても勉強した。
営業を学ぶ事は人間を学ぶ事だと思った。
とにかく人について研究した。
何をされたらいやなのか、何をされたら嬉しいのか
どんな時にこころを許してくれるのか
どんな時にこころを閉ざしてしまうのか
どんな環境にいるとどんな性格になっていくのかを考えた
その人の性格を知る事はその人の人生を知る事だと思った。
とにかく人に会い続けた。
“なんで断られたんだろう、、、、あんなにいいね、いいねって同調してくれていたのに、、、嘘つきだ、、、”
お客様の言葉を信じすぎたり、自分の良いように解釈したり、
断られた原因をお客様のせいにしたり
自分を全否定されたきがして後ろ向きになったり、このままこの世から居なくなりたいななんて虚無感が襲ってきたこともある。

とにかく毎日戦っていた。
毎日毎日自分の喜怒哀楽に振り回されていた。
自分の感情をコントロールするのが大変だった。
気づいたら体調を崩している事もあった。
身体が壊れるまで気づかない事もあった。

でもとにかく夢中だった。
ゴールがなかった、
だから飽きなかった。
営業職って奥が深すぎる、、、
これといった答えが見つからない中で、
”これ”といった答えが見つかることはないんだと確信した。
それだったら人生を通して見つけ続けようと思った。
見つけ続ける事が営業なのかもしれない。

思い返すと、
水商売もそんなに簡単にお客様がついた訳ではなかったっけ、、、、?
私が当たり前だと思ってやっていた事は何だったっけ?
売れている人と売れていない人の徹底的な違いはなんだろう?
愛されているお金持ちと愛されていないお金持ちってどう違うんだろう?

色んな記憶を蘇らせる。

私はそもそもなんで売れてたんだろう?
どうやってお客様と向き合っていたんだろう?
目標設定はどうやって決めていた?
毎日自分の感情をどう処理していたんだろう?
なんでそんな高いマインドセットができるんだろう?
モチベーションはどこからきてるんだろう?

私は夜の世界でも昼の世界でも
営業活動を通じていろんな事を毎日学んでいた。
色んな人と会う事によっていろんな感情を理解する事ができた。

営業って楽しい。
だってゴールがないから。
まだ今はこの答えを日々アップデートしている最中で
まだまだこの先もっと営業を極めていきたいと思っている。

仕事は心の在り方できまる。

自分の心と毎日向き合っていく事もとっても大切だ。

正しい心の在り方は訓練が必要だ。
その訓練は人生通して試行錯誤しながら続けていきたい。


自らの経験を通じて学んできた事で人に伝えらえる事があり
それを人に伝えて誰かの励みになったり気づきになったり助けになる事がある。
これまでの私の右左曲折の人生経験からくる考え方、スキル、ノウハウ、、、
それをこれからこういった形で発信していきたいと思う

私が発信する事が
誰かの何かの課題解決の手段になる
何かをするエンジンになる
心の支えになる事を目指しています。

そして一緒に人生を通じて学びを共有していきたい。

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年収1億円のOL。元キャバ嬢月収1000万→エリートリーマン(日経企業で年収1億以上) 営業力は誰でも身につける事が出来ます。営業力は永遠の資産。 営業力を付けて考え方を変えて人生を変えるお手伝いをします。 過去はnoteに書いたので是非読んでください。