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オレは発達障害グレーゾーンなのだろうか?2・きっかけをくれた友人について

こんにちは。
この話は急がず丁寧にしていきたいと思います。

まず前回、発達障害の話をしてくれた女性についてもう少し書かせてください。

彼女に発達障害だと告げられて「そうは見えないよ」と伝えるのがよくない反応だとわかっているうえで、しかし一方ではそれが自分の率直な気持ちである事もまた事実です。
だって特別変わったところなんてずっと感じなかったのです。
会った時の印象を言えば落ち着いていて変なところはないし、しっかり正規雇用で働いているしで、私よりよっぽど真人間なのです。
今ではこんな事を書く事が当事者を傷つける可能性があることも知っているので、できればあまり書きたくはない。
でもあくまで打ち明けられた当時の感覚として、そのときの印象を少しだけ語ります。

確かに、通話で話していると丁寧に言葉を選んで話すところがあって、普段文章で接している彼女の印象とは多少異なる部分もありました。
でもそれも、ひとえに緊張のせいだと思っていました。
私も緊張するとうまく喋れなくなるように、ただ単に彼女もそうなんだろうと思っていました。感じたとすれば、そんな程度の違和感です。

そんな女性に発達障害だと打ち明けられたのです。前回書いたとおり、その事実をはじめはそこまで真剣に受け取りませんでした。発達障害に関する知識が決定的に欠如していたし、上に書いた通り、特に重篤な印象なんて全く受けなかったからです。

しかし話を重ねてみて、彼女がこれまでの人生でどれだけ苦しんで来たのかが徐々に伝わってきました。
その苦しみは子供の頃から始まっていて、現在に至るまでずっと悩み苦しんでいるのです。そこまで聞いてようやく私は発達障害というものの深刻さを理解し始めたと思います。

彼女は自分の未来について絶望に近いものを抱えています。そして反出生主義者である事も教えてくれました。私は反出生主義についても何も知りませんでしたし、今でも詳しくは知りません。読んで字の如く、の意味であることはくらいの認識です。
しかしその事実もまた、彼女がどれだけ自分の生まれを呪っているのか、その深刻さを裏付けるものだと感じました。
発達障害とはそれ程に悲痛なものなのかと、その頃からようやく、少しずつでも理解し始めたのだと思います。

そのように彼女は切実な辛さを語ってくれたのでしたが、今までもお互い恥なんて感じないくらいに明け透けに悩みを打ち明けあってきた(と私は勝手に思っている)ので、特別関係が変わったという感覚はなく、今まで通り聞きたいことを聞いて、彼女もそれに応えてくれました。
その対話の中である時点から、自分も発達障害の要素があるのではないか?との疑念が湧き上がってきたのです。
彼女の悲痛な訴えを聞くことができたから、ここまで真剣に向き合おうという気持ちになれたと言えます。

そのような経緯があるため、なるべくなら彼女のことを避けて語りたくはなかったのです。
書くことに関して、一応本人の許可は得て書いています。が、突然この部分を消す事はあり得ます。


そしてずっとこの先の文章を書いているのですが、とんでもなく長くなっていまうので、少し短めですが今回はここまで。
書いている内容的には前回参考文献に挙げた「発達障害グレーゾーン」という本についてなのですが、順序的にはまず先に、自分が発達障害かもしれないと疑い始めた点について書くのが先かもしれません。
一体なんでこの人は長々と発達障害に関しての妄想を書き連ねているのだろう、と思われるのもつらいですから。

次回に続きます。

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