『青鬼 元始編』原稿20
第5話 せんけつ(5)
直樹「だけど、腕を振り上げたどうかまではわからないはずだ」
ひろし「左足を後方に動かした痕が、床に残っていました。このことから、君が右腕を大きく前方に動かしたのではないかと推測したまで。野球のボールや、あるいはダーツを投げるときのことを想像してみればわかると思いますが、人は片方の腕を前方に動かしたとき、逆方向の脚が反射的に後方へと動くものなのです。これは連合反応と呼ばれる誰にでも普通に起こり得る現象です」
直樹「…………」
ひろし「以上のことから、君が僕の背中になにかを振り下ろそうとしていたことがわかりました。さらに付け加えるなら、先ほど廊下で出会ったとき、右手に握っていたものが影となって床に映っていましたよ。先端が鋭く尖ったものでした。アイスピックかなにかでしょうか?」
直樹「……正解」
アイスピックを取り出す直樹。それをまっすぐひろしに向ける。
直樹「なんでもわかっちゃうんだね。やっぱり、君ってすごいや」
ひろし「なぜ、僕を?」
直樹〈態度を急変させ〉「動くな! 両手を上げろ!」
いわれたとおり、両手を上げるひろし。
ほのか「……おにいさま」
ひろし「すみません。僕は人の心を読み取ることが苦手です。気づかいとか優しさというものがいまだによくわかりません。もしかすると、自分では気づかぬうちに、君にひどい仕打ちをしていたのかもしれませんね。そういうことなら謝ります」
直樹「そうじゃない。君はなんにも悪くないよ。だけど……ゴメン。どうしてもこうしなくちゃならないんだ」
ひろし「なぜ? 一生を棒に振るつもりですか?」
直樹「小さい頃から頭脳明晰で、みんなに秀才だ秀才だともてはやされた君にはわからないさ」
ひろし「ええ、わかりません。そんなふうに、心に壁を作られたのでは、僕みたいなひどく鈍感な人間でなくても、君のことを理解することなんて無理でしょう」
直樹「うるさい! 自分のことは自分一人でなんとかする。だから、放っておいてくれ!」
ひろしに突進しようとする直樹。
ほのか「ダメです、お兄さま」
ほのかが直樹の腰にしがみつく。
直樹「……ほのかちゃん」
ほのか「傷つけられる痛みを思い出してください。なにがあったのかはわかりませんが、誰かを傷つけたってなんにも解決しません。よけいに苦しくなるだけです」
直樹「だけど、こうしないと……」
ほのか「ほのかもそうでした。どうしても耐えられなくなって、眠っているお母さまの胸にナイフを突き立てたことがあります。でも、それで救われることはありませんでした。お母さまから受けた以上の傷を、ほのかは自分の心に刻み込んでしまったのです。お兄さまに同じあやまちを犯してほしくはありません」
ひろし「君がなにかに悩んでいることは、僕にもわかりました。それは本当に、このような方法をとらなければ、解決しないことなのですか?」
直樹「…………」
ひろし「先ほど、君は僕に『なんでもわかっちゃうんだね。すごいや』といいましたよね? べつに自惚れているわけではありませんが、たいていの問題になら、的確な答えを述べる自信があります。僕に話していただければ、なにかアドバイスができるかもしれません」
ほのか「ほのかも相談にのります。お兄さまの悩みを聞かせてください。お願いします」
直樹の回想。教室内で楽しそうに語り合うクラスメイト。一人きりで椅子に座っている直樹。
直樹〈独白〉[誰も僕を助けてくれないと思っていた。でも、壁を作っていたのは僕のほうで……。僕の言葉を待ってくれている人もいるなんて、全然気づかなくて……]
教室内。直樹の様子をうかがうひろしの姿。
直樹「もう……一人で戦わなくてもいいの?」
ほのかとひろしは同時に頷く。
直樹「……本当に?」
直樹の手からこぼれ落ちるアイスピック。
彼はその場に泣き崩れる。
第5話終わり
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