きれい

カードローンの残高がじわじわと増えていて、いつから自分はこうなってしまったのだろうと京急の車窓から淡い空を見ている。
元々まとまって借金を作った時は、引越しや無職期間の生活費といったきっかけがあった。でも今増えているのは、単にアイドル等に散財していることによる借金だ。
生活がきつくてひーひー言っていた頃は、こうではなかった。ギリギリのところで、本を買うか酒を買うか食料を買うかを自分なりに判断できていた。自分でも堅実な性格だと思っていたから、あるだけ使って足りなくなったら借金、という生活はなかなかショックではある。

とか考えていたら、色々と昔のバカだったこと思い出したり。

中学時代、部活帰りは同じ方向の奴と、なんとなく一緒に電車に乗っていた。本当は嫌いだったけど。
2年生のある日の帰り、別れ際そいつに「じゃあね」と言われて、衝撃を受けた。自分以外みんな「挨拶」というものをしている……!!
思えば毎日毎日、そいつも他の友達も、会えば「よう」と言って別れる時は「じゃあね」と言っていた。なんで今まで気づかなかったのだろう。それまでの僕は全然挨拶をしていなかったと思う。廊下で友達と出くわして、無言で見つめて平気だった。
だいたいその頃くらいから、自分が世界を何もわかっていないことが怖くなった。
たとえば休み時間の教室でパンツを脱がされても、どうしてなのか、それに何の意味があるのかが何もわからなかった。
小学生の頃は、担任の先生に「君はからかわれてもいつも笑っているから、もっとやられちゃうんだよ」と笑われた。僕は笑ってなんかいないと思っていたのに。
十代の頃は受験勉強とかはそれなりにやったけど、勉強なんてしても肝心なことは何もわからないままで。
今でも電車のゴォーという走行音も、駅のアナウンスの反響も、少しベージュっぽい車両の壁も、何一つわからない。
だから短歌を詠み始めて、「作者の世界の捉え方が出ていますね」などと褒めてもらうことが少しあって、とても嬉しい。
でも僕にとっては世界は永遠に壁の向こう側にあって、その壁がザラザラしてるのかスベスベしてるのかもわからない。

とりあえず「あたらしい歌集選考会」の〆切が近いという事実だけはわかる。
夕陽がきれい。

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