サンシャイン

西巣鴨に住んでいた頃、アパートのすぐ脇を都電荒川線が通っていた。
内見の時、不動産屋さんは都電の騒音を気にしていたけど、「いや、むしろ風情があって好きです。」と言って契約した。
それはともかく、よく通る踏切があった。近所のコモディイイダに買い物に行くときや、地蔵通り商店街を散歩するときに通った、小さな小さな踏切。

しばらく住んだあと、仕事や色々なことに追われて、すごく死にたい時期がきた。その死にたさがどれほどのものか、検証はできないけど、ずっと頭の中のノートが死にたいという黒い鉛筆書きの字で埋め尽くされたような感覚。
だんだん心身が弱ってきて、家で布団にくるまっているのがやっとという状態になって、たまに少し元気なときがくるとイイダでたくさんカップ麺を買いだめたりする生活が続いた。
その夜もそうしてやっとのことで食糧を調達、家に帰る途中だった。ほんの徒歩数分の外出。踏切が鳴って、都電の車両が近づいてくる音がする。
気づいたら、ふっと遮断機の向こう側に向かって体が動き出していた。と同時に、ほとんど本能的に体が硬直し、ぎりぎり踏みとどまった。
その時期は恋人がいて、恋人に淋しい思いをさせたくないという気持ちが強かったから、なんとか踏みとどまれたのかもしれない。

その夜からもう少し経って、段々元気を取り戻していた頃。ひとりでその踏切を渡っていたところに大学生くらいの、騒がしく話す四人ほどの集団が歩いてきた。
「あれがそうじゃね?なあ」
「そうかな?」
そのうちの一人に話しかけられた。
「すいません、あれってなんですか?」
遠くで光る高い高いビルを指差す。
「あー、サンシャインじゃないっすか?」
と言うと、
「ほらな!」と盛り上がる。そしてそのまま去っていった。

無機質な高いビルが苦手で、家の近くから見える池袋のサンシャイン60も、どこか怖いと思っていた。
でもそのときは、何かその高い光が救いのように眼の中に吸い込まれてきて、しばらく踏切の真ん中で立ち尽くしていた。

人がはじめて月を見て泣いた時も、こんな気持ちだったのかもしれない。

ふいに思い出したことを文章にしようとして、なんだかぐちゃぐちゃになってしまった。

プーさん、おやすみ。


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