昔部屋を探していたとき、家賃保証会社の審査に提出する緊急連絡先に友達の名前を書かせてもらおうと思っていたのだけど、不動産屋の人に「親族じゃないと厳しい」みたいなことを言われたので、「緊急連絡先なのになぜ…?」と思いつつも、一応友達ではなく姉にお願いした。
後日保証会社から電話がかかってきて、「なぜ緊急連絡先が親御さんではないのですか?」と訊かれた。
意味がわからなかったので、「なぜ、とはなぜですか?」と訊き返した。
そのままなんでなんでとお互いにラリーを続けた末に、「えっと、あの…通常は親御さんを書かれる方が多いので…」と言われ、なんとなく話がわかったような気もしたので、「あぁ、仲が悪いからです。」と言って終わらせた。
(審査は落ちた。)

ということがあって、でも別に自分は親と仲が悪いとも良いとも思っていない。多分生きてるとは思うんだけど。
たとえば元請や下請の人でよく一緒に仕事して会話もあるような人でも、仲が良いとか悪いとかは思わない。それはそういうことじゃないから。
自分にとって親というのもそれであって、だから「親と仲が悪いんです」というのは方便。(親の場合はもう十年近く会ってないけど)

また別のときの話。かなり親しくしていた人とお互いの身の上話?みたいなことを話していたら、「親御さんと仲良くなれるといいね」と言われた。自分なりに「家族関係」を一生懸命説明したつもりだったけどそれが伝わらなかった、というのも傲慢なのだと思うけど、自分の中では「仲良くなれるといい」ってどこから出てきた話なんだ?と、よくわからなくなってしまった。

親子や家族同士で助けあったり支え合って生きる人やその愛情をたくさん見てきたし、それは素晴らしいと思う。
ただ、それは家族という類型に押し込めて一般化されるべきものではないとも思う。

僕には中産階級の両親がいて、私立大学文系の五年間の学費を出してもらった温室育ちであるからこそ、あえて家族に対する無の感情を持てているのかもしれないけれど。

でも、人間って多分みんな生まれようと思って生まれてなくて、ある人間が存在することそのものはあらゆる期待を前にしたらいつだってしょうがない事実でしかないように思う。
家族と仲良くなれない、優しくなれない、という人に対してはそれは普通だよと言いたい。

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