私がリア友に誕生日を非公開にする理由

黒髪乙女です。
先日、誕生日を迎え25歳になりました。
年齢が増すのに対して、精神年齢はまったく成長していないように感じます。
去年の誕生日は出勤したら上司が脱糞していました。
前日に飲みすぎたせいで出勤したらおなかを壊し、トイレに間に合わなかったようです。
帰りに私はサーティーワンを食べて帰りましたね。彼がトイレの扉の前で開いた門から出たものと同じ色をした、チョップドチョコレートを食べました。
それ以外には特に思い出はありません。
毎年、ひとりでおいしいものをひっそりと食べるだけ。
特に友人からはなんのお祝いもありません。

その理由は、

私が誕生日を教えていないから。

何かを与える人は、周囲から与えられる人である。
周囲から与えられる人は、自身も与える人である。

私はこの法則には当てはまらない。
人の誕生日は覚えられないし、
贈り物を選ぶ行為も得意ではない。

誕生日を覚えられないのは他人に興味がないから。
他人と深い結びつきができても、結局は離れていくものだから。
だったら、誕生日ってあんまり意味のないことじゃない?

それにプレゼントだって、

この入浴剤を使ったことがあってリピなしだったら、
このコスメを使ったことがあって香りが好きでなかったら。

そればかり考えて結局選べない。
最終的にはおいしいお菓子を渡すことになるのだけど。

欲しくもないものを貰って恩を着せるもの気が引ける。
だから私は、贈り物を贈れない。

与えられない人は、周りからも与えられない人なのだと。


この年になると誕生日だけじゃなくて、
引っ越し祝い、
結婚祝い、
出産祝い、

ライフステージが変容していくときにはお祝いの気持ちを贈り物に乗せて届ける。
最近は頑張っています。

先日もプレゼント選びに付き合ってきました。
休日をプレゼント選びに使うって贅沢だと思いました。
7軒回って決められなかったのだけど。
贈り物を選ぶ時間って、きっとその人のことを考えている時間だから。
その人は送る人のことをよく考えているのかな。

この話をすると私がドライだって克明になりますね。

先日引っ越した友人がいたのですが、彼女にはバスタオルを選びました。
わからないので直接聞いたのは反則ですか?

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