50年前の5月12日ー「今に伝えること」「今に伝わること」

それは1970年5月12日のこと。大学を卒業して「国際免許証」なるものの取得に手間取りさらに格安チケットの取得に時間がかかったのでした。
卒業して母校平安女学院高校の英語の教師になるべく「英語のブラッシュアップでもしたら?」と母親が友人のイギリス人宣教師といつの間にか話しを進め、いつの間にか渡英が決まっていたのです。
今から考えるとその頃お付き合いしていた彼と引き離そうとの魂胆が見え隠れする。

イギリスってどこ? 海外に行くなどと思ってもいなかったので、それは青天の霹靂!
安いチケットだと聞かされ乗り込んだのはCathay Pacific。香港で乗り換えバンコックまで。あとから考えると多分安いのはバンコックからアムステルダムまでアジア中の宣教師のためのチャーター便だったのではないかと思います。バンコクまでとアムスからヒースロー空港までの乗り継ぎ便とホテル代を考えると28万円はどう考えても安いとは思えません。しかも片道ですから。
そんなこんなで羽田を出発したのは5月12日、目的地についたのはバンコック、アムス、ロンドンの3泊をこなし5月15日のこと。どれだけ遠いところに来てしまったのだろう。
今でも 景色の「美しい」の形容詞はイギリスのように、、、と言うほど自然が美しい場所に目的のLee Abbeyはありました。名前が示すとおり修道院なのですが、「新しい形の修道院」と表現したほうが良いいわゆる自給自足で運営されるキリスト教団体が運営するコミュニティでした。イギリス南西部Devon州の北、海を挟んで対岸はウェールスで夜は対岸の街の灯りが見えました。ロンドンから西に列車とバス(Coach)を乗り継ぎ田舎町リントンはあります。そこから何も交通機関もない4キロほど離れたところにLee Abbey はたたずんでいました。 きっと元は貴族の夏の館だったのでしょう。広大な敷地内にはプライベートビーチもありました。そして暖炉で燃やす木を切り出す森、乳牛、旬とすぐわかるお野菜(ほぼ毎日食卓にでる!)ここの生活に慣れるまでには時間を要しました。総勢60名もの老若男女が暮らすこの場所は熱心なクリスチャンの集まりで、もともと社会生活、奉仕生活に疲れた人々の癒しを目的に設立された施設だということが分ったのは大分後のことでした。共同生活の為の役割分担があり、私は言葉が余り分らないので最も単純な作業場でした。Pantryと言うのはもともと「食料モノ置き場」なのですが、役職はPantry仕事は皿洗い、食事のセッティングなどでした。お隣のキッチンで働く人は階級は上、お掃除がかりも雰囲気的には憧れでしたし、ましてや事務所で働く人たちは雲の上。他にはきこり係、牧場係など少なくともPantryメンバーからすると「エリート」という感じがしますが、実際にはそう思ったのは私だけで、上下の区別はまったく無かったようです。

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ここで1年お世話になり次の1年はケンブリッジにある宣教師養成カレッジに通い、3年目はロンドンのセントポール寺院の前庭にある日系の旅行社にお世話になりました。
と、振り返っている今は「充実した素晴らしい3年間!」と思えますが実はその頃のわたしは悩める不幸な女性でした。キリスト教の信仰に立ち向かい「生きる意味」を考える毎日に押しつぶされそうな3年間でした。この3年間で流した涙とたち向かった苦悩は限りなかったと思います。
そして50年経った今思うことは、この3年間が今の私を育ててくれたということです。私は自分に向かい合いながら一生懸命でしたが、実は自分勝手でした。その時のワタシに寄り添ってくれた友人・知人・恩師の力は計り知れません。そして命までも投げ出そうと闘った信仰心は何と浅く甘いものであったか。振り返ると微笑まざるをえません。
それに気づかされたのはそんな昔のことではありません。「あなたは何故そこまでやるの?」と良く言われましたが、それは単に自分が受けた支え、援助、にお返ししているだけだと心の中で答えていました。今の人は感謝の言葉が無いと時々嘆きますが、それは私もまさにそんな人間の一人であったと思うのです。自分の一生懸命と自分の努力で今日まできたと信じていた若さゆえです。しかし一人でなし終えたことなどひとつもありません。しかし私はリアルタイムで誰一人として感謝の言葉を伝えていません。ましてや恩返しもできていません。
コロナウィルスの感染におびえ、とまどい、混乱する昨今、「命、生き方、価値」などが問われています。なぜいじめがなくならないのか。なぜDVがあるのか、なぜ差別があるのか、こうした社会問題も含めあのころ必死で生きていたワタシには何ひとつ見えませんでした。しかし50年経った今、私は沢山の人に生かされてきたのだということ、そして恩返しは未来に繋げることだということが分ったような気がします。そしてまた分ったことは私は特別な人間ではなく、誰もがそうであるような普通の社会人であること。もし絆というものがあるとしたら、もし誰かと繋がることができるとしたらそれぞれがそんな自分に出会うことではないかと思うのです。わたしたち誰もが自分もそんなひとりだと思うことではないかと。
イギリスでの3年間、そしてドイツの47年がとてもいとおしく思える今日に感謝!!


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