枕と靴箱

言葉は難しい。
自分の中に知っている言葉を増やせば増やすほど説明が難しくなっていく。気持ちの説明。
言葉を知って、心から遠ざかっていくような気がして。
考えないで感じることが時々必要に思う。
言葉とも、心とも仲良くするにはそれぞれのバランスが結構大切なような…。
どちらかの比率が大きすぎても小さすぎても自分らしくなくなってしまう。
自分の声が聞こえなくなってきたら、疲れてきた証拠で。
何も思ってない。そんな状態。
安定しているようで、グラスをすっかり満たす水のよう。あと一滴でも注がれてしまえば溢れてしまう。

…まあそうなればいいのかもしれないけれど。
そうなってからしか、気づけないことが欠陥だなんてことはない。

自分を知ろう。
嬉しいも悲しいも。
どうせ赤ん坊から始まったのだ。
大人になって殺したいくつもの感情も
本当はいつだってきっかけさえあれば息を吹き返す。
だって、生きてるんだもんね。

いつだってまた会いに行けばいい。

言葉をもっと自由に。
抱えている、絡まりかけた想いをじっと見つめてゆっくりとほどいてみよう。
知っている言葉の、シンプルな言葉を繋げて、繰り返してもいい。
感情の生える方向は一方向ばかりじゃない。

根気は必要かもしれない。でも少しずつ、わかっていける。
巨大で透明な迷路みたいな人生を歩く自分のことを。
この大切な足のことを、忘れないように。
見えないのは、見ている目だから。
息を止めて苦しくなってああそうかってなる。
馬鹿みたいでも構うことじゃない。

思い出せたなら、それでいい。
枕の上からだって
また始めたらいいんだ。

何度もやめようとしたあとだって、始めていいんだ。止まり続けなければそれで。