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それなら。

宝箱を開けたあとの。その時は過ぎて今現在の何も浮かんでこない感じ。宝も、夢も約束も。開けるまでが、叶うまでが、その日が来るまでが一番楽しい。

夜に塞がれて朝を切望、日に焼かれて涼しく穏やかな月明かりを拠り所に、そうやって小さな世界の端から端までを歩いてきた。

なんにもないなんてこと、ないのになんにも持ってないような気がして寂しくなっちゃうんだよね時々。おやすみなさい。と言いたくない子どものようなそんな気分で。
今日を終わらせたくない、って。それだけ今日が宝物だったんだよね。大人になるまでに何度もそんな日はあったよ。忘れてしまうけれど、時々思い出す。形は変わってしまったかもしれないけれどあの感覚とか思いはたぶんまだ、時々体験している気もする。
とても少なくなってしまった気がするけれど。

たくさん宝箱を開けてきたのだと思う。
そこら中にあったそれを片っ端からきっと。だからそこらへんにはもう、あまり無い。もしかしたら、そういうことなのかな。

それならもう、たくさん持っているってことにもなる。宝物をたくさん、私は持っている。大切にしすぎてどこにしまったのかわからなくなってしまっている気がする。そして、そのときは上手に扱えなかった道具を今なら使えるようになっているのかもしれない。

悲観に、溺れすぎていては見失うものが多い。
涙が宝石になることはなく、透明に流れては乾いていつもと同じ。
それでも、泣きやめたならまた歩いていけるよね。綺麗じゃなくても、力強く歩くことはできる。

自分を信じるために積み上げていく作業。
それの形は、歪でも良くて。途中で崩してしまっても良い。何度だって始めたら、それが良い。

叶え続ける。
…正直まだ、それはしたことがない。続けてこれたのなんて生きてきたことくらいなもんだ。でも、これが1なら。ゼロじゃないのなら十分に有だ。無では決してない。

それなら。