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ある週末サーファーの記録021 スコーピオン・ベイ 4 完

 バンガローで寝袋泊。夜明けとともに目を覚ます。早朝のスコーピオン・ベイはひやりとした空気が流れていた。外気温との差のせいか、海面上には薄い霧がかかっていた。

 波は今日も小さかった。相変わらず規則正しいライトの波がずっと続いていた。キャンピングカーの人たちにとっては今日はノーサーフの日なんだろう。海には私一人。何本やり過ごしても、ずっと私の波だ。

 崖の上から妻が動画を撮っている。多少の体重移動以外は波に任せる。乗り始めて波がなくなるまでちょうど60秒。霧の海面をなめらかに、静かに滑る。そんな贅沢なライディングを何本もして海から上がる。

 朝のセッションを終えてしばらくしたら、軽食屋に行った。その店は「トルタス(Tortas)」というメキシコ風サンドイッチが美味かった。表面をカリッと焼いた大きめの楕円形のパン2枚に中身は鶏肉、タマネギ、トマト、アボカド、そしてフリホーレスという豆の塩煮ペースト。ピリ辛のソースをお好みでかけてサンドする。両手で掴んで目一杯口に頬張る。そのチキン・トルタスはいまだに私たちにとっての人生最高のサンドイッチだ。滞在中3回食べに行った。世界の果てのような場所で食べたことが、特別な調味料になったのは否定できない。

 午後になると霧が晴れた。昨日と同じく快晴、微風。メローな波は変わらない。彼女にもサーフィンを勧めてみた。周りにはロングボードを楽しんでいる人が数人。初めての波乗りには悪くない条件だ。

 板の上に腹這いになる。私が湾に入ってくる波に合わせてボードの後ろを押す。わずか3、4回目の挑戦で彼女はボードの上に立っていた。10秒ほど乗って水に落ちるというのを何度か繰り返して初めての波乗りを楽しんだようだった。

 後にも先にも彼女がサーフィンをしたのはこの時だけだ。普段の波でサーフィンをするのは怖いという。妻がスコーピオン・ベイの格別に優しい波であの独特な浮遊感を味わえたのは、自分ごととして嬉しかった。

 条件が良い時はショートボードでアクションしながら何百メートルも乗れるというスコーピオン・ベイ。最終日も波は上がらなかった。

 2024年現在、Google Mapを開くと、サン・フアニコの小さな集落にいくつもレストランや宿泊施設が見える。当時からこのうちのいくつかがあったのか、この十数年ででき上がったのかは分からない。開発が進んで、もしかしたらあの干上がった川を渡らなくても海に辿り着けるようになっているのかもしれない。

 滅多に行けない場所になんとか辿り着いて、そこで人知れず良い波に乗る。それは旅好きのサーファーの夢ではないかと思う。スコーピオン・ベイはそんな私の夢を叶えてくれた。今、もし前ほど難しくなくスコーピオン・ベイに着けるとしたら、あの頃に行けた自分は幸運だったと思う。

 コスタリカの「ウィッチズ・ロック」、ペルーの「チカマ」。死ぬまでには行きたいが、なかなか行けないポイントが世界にはまだある。いつかそこに行くときは、少しはハードな道のりが待っていてほしい。どこかでそう期待する自分がいる。そしてそのときにはまた、助手席の妻にナビゲートしてほしいと思う。

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